私を信じろ「ラブライブ!スーパースター!!」肯定論:その1
はじめに
これは愚かにも「ラブライブ!スーパースター!!」を肯定する試みです。
これを見たことで、誰かが傷つくかもしれませんとか、注意してくださいとかいった、言い訳めいたことは一切書きません。
ものを書くことで誰かが傷つくことを止めることはできません。
自分や他人が傷つく覚悟がなければ、何かを発信することはできません。
そんな甘い話ではないのです。
残酷な真実
自分は何も分かっていませんでした。いや、見たくなかったのか、知りたくなかったのだと思います。TVアニメ「ラブライブ!スーパースター!!」が批判されているという事実を。それも賛否両論といったレベルではなく、否定的な意見が圧倒的に多数であることにです。
2期の放送が終了してからも、しばらくはそのことに気づきませんでした。
自分はネットでアニメの感想を見ることが苦手だからです。
まとめサイトやTwitterなどのSNSで繰り広げられているのは、
誰が他の人の共感を多く稼ぐかを競うゲームにしか思わないからです。
できるだけ短い言葉で作品にツッコミを入れて、その粗をどれだけ上手く指摘したかを競ったり、もしくは自分を認めてもらいために、作品と自分を同一視したかのような、安易な推しアピールにはうんざりしますし、不毛だと思っていました。
本当に興味があるのは承認願望だけで、
「自分が好きなものは過剰に推して自分をできるだけ良く見せたい」
「自分が嫌いなものは徹底的に攻撃して他人からの共感をいっぱい稼ぎたい」
そんな閉鎖的な環境だと感じます。
それでもYouTubeで2期を批判する動画を偶然目にしてしまった時は、
「新たな炎上商法か? 気分悪いな」ぐらいにしか思わず、
煽るような手口に嫌悪感こそ抱きましたが、少数意見だろうとたかを括っていました。
自分が見たくないものは見なかったことにする、それは自分も同じです。
2期を純粋に楽しみたい自分にとって、そんな意見は不要だったのです。
しかし、この時に気づくこともできたと思います。
彼らの批判的な言葉が、承認欲求を満たすだけの共感稼ぎを目的とした、
ただの下劣な遊びではなく、本気の真剣な批判だったということを。
全くネットの意見は見ないと言っても、
YouTubeで期間限定の見逃し配信のコメントは何度か見ていました。
ネガティブなコメントが比較的少なかったからです。
はじめこそは自分も楽しく見ていましたが、
コメント欄が話数を経つにつれて不穏な空気を醸し始めました。
第5話のいざこざあたりから、否定的な言葉が目につくようになりました。
まとめサイトで、すみれや夏美の扱い方について否定的な意見を目にもしました。自分はまだこの段階では余裕があり、半分笑いながら見てました。
もちろん、心の中では嫌な気持ちになったので、そこのサイトを覗くは一切やめました。
第10話まではそれでもYouTubeの見逃し配信を気になって見ていましたが、第11話以降は怖くて見れませんでした。
その場合は見逃し配信ではなく、他の配信サイトを使いました。
そして、自分の中では徐々に、以下のような考えが頭の中を巡り始めました。
「自分が作品を見て感じた想いと、ネットでの多数派の意見は違うのではないか?」
「ラブライブ!スーパースター!!の2期は、評判が悪いのか?」
とは言っても、ネットの感想を詳しく見るわけにはいきませんでした。
自分の考えを大切にしたかったからです。
「1期と2期の感想を自分の言葉で語ってみたい」
「その時に感じた心の動きを文章にしてみたい」
そんな、ささやかな楽しみやモチベーションを、
ネットの言葉で汚染されたくなかったからです。
感想を書き上げている時間というは、すごく楽しくて充実した時間でした。
自分の気持ちを中心にした感想を最初は目指そうと思っても、
この作品が言いたかったことは何か、そのテーマはどう描かれたのかといった、作品を読み解きたい気持ちが全面に出てしまいました。
自分は気になった点は解決しないと気が済まない、性分なのです。
自分で問題提起を行い、その答えを自分で考えることは、思った以上に大変です。でも、納得する答えを見つけることができると、嬉しくて報われた気がします。そして、一度答えが見つかると、別の問題の答えも分かるものです。何度もアニメ本編を見返すことで、最初は気づかなかった新たな発見が次々と見つかりました。(感想には関係ないですが、2期の第10話の作画ミス?に気づいた時は不思議と嬉しかったです)
「あのシーンはなんと言っていたっけ?」と言った小さな疑問を解決することで、作品を一歩ずつ理解しました。最初はなんでもないと思っていたシーンでも、遡ってみると意外と重要なシーンだったということも多かったです。集めた言葉を整理して積み重ねることで、自分の中で徐々に物語の輪郭が明らかになりました。
「ラブライブ!スーパースター!!」の世界と対話するような感覚がそこにはありました。
その成果は果たしてどうだったのかは、ここに記したとおりです。
話を戻しますと、
そうやって自己満足のための感想を完成させますと、自分は他の人の考えを確認したくなりました。
自分の考えがどこまでオリジナリティがあるのか気になったのです。
自明で当たり前のことを、偉そうに語ってしまったのではないか、ドキドキしました。
そして恐る恐るネットを覗いてみると、そこには見たくなかった、でも心の中で薄々勘づいていた、悲しい現実が待っていました。
その日はちょうどニコニコ動画で第12話の生放送がありました。
当然焦点になるのは、最後に行われるアンケートの結果です。
恐るべきことに、なんと第12話は最低評価の「良くなかった」を50%も集めたのです。最終回の評価結果というのは、ただの1話の評価ではなく、その作品全体の評価と結びつきます。
つまり、「ラブライブ!スーパースター!!」2期は、ニコニコでは酷評だったのです。某掲示板では、お祭り騒ぎでした。不快な人達です。
自分はラブライブ界隈を詳しく知りません。
もしかしたら、自分が知らないだけでニコニコはアンチが多いだけなのでは?と、浅はかにも現実逃避めいたことを考えてしまいました。
それでもすぐに現実を思い知りました。
ニコニコ動画だけではなく、YouTubeの動画も話題に上がっていたからです。自分もその時になって初めて知ったのですが、
YouTubeの低評価の数は通常では非表示になっていますが、
拡張機能等を使用すれば、誰でも見れる仕様になっているのです。
そして、第12話は低評価の割合が全体の7割を占めていたことが分かったのです。
(自分が見た段階なので、その後割合に変化があったかもしれません。)
もちろん、誰が見ても酷評されていることが分かります。
当然にように盛り上がる某掲示板。
自分は気分が苦しくなって、ベッドの中で布団にくるまりました。
早くこの悪夢から醒めてほしい、明日が早く来て欲しいと心底願いました。
自分の意見とネットの多数派の意見が違うことは珍しいことではないと、
今でも思っていますが、それでもあの時は格別に心にきました。
世界に裏切られたような感覚を持ちました。
今まで書いた自分の意見や信じた考えは、他の人から見れば、何を言っているのか分からない、意味不明なものにしか映らないのではないか。
「ラブライブ!スーパースター!!」1期と2期を心から楽しんで絶賛した自分は妄想癖の狂信者でしかないのか。
自分のことが全く信じられなくなってしまったのです。
そんな自分が感想記事を出したことは間違いだったかも・・・
本気でそう思っていました。
一晩寝て起きて、気持ちが落ち着くと、気持ち悪い感触を抱えつつも、
流石にこのままでは、良くないと思うようになりました。
もう「ラブライブ!スーパースター!!」のことはキレイさっぱり忘れて、
違うアニメでも見てスッキリしようか。
(秋アニメは話題作が豊富ですしね。)
全部を忘れなくても、TVアニメには触れずに現実のライブイベントを楽しみにすれば良いじゃん。
もしくは自分もTVアニメの粗探しに参加して、制作サイドに反省を促す側に回った方が有意義かも。
しかし、どれもできませんでした。
TVアニメを毎週楽しみにして、そして終わってからも真剣に向き合った自分に対して、嘘をつくことはできませんでした。
何よりもTVアニメ「ラブライブ!スーパースター!!」が大好きだったからです。彼女たちの活躍がいつも眩しくて憧れさえ抱いた、その気持ちを否定することだけはしたくなかったです。
誰の気持ちでもない、もしかしたら自分だけかもしれない、
そんな自分の気持ちをもう一度信じてみようと思いました。
どうせなら、とことん付き合ってみようと考えました。
たとえ、自分がさらに傷つく結果になったとしても。
復帰戦
では、次に何をするべきか。
成り行きに任せていると、その答えは自然と動画作成になりました。
というのも前から一度挑戦してみたかったのです。
そして、自分の文章を再度見直して、これをそのまま動画にしてみたいと思うようになりました。文字ではなく、動画でなら自分の気持ちを上手く伝えられるのではないか、まだ出会ったことのない人にも、動画なら届くかもしれない、届いてほしい。
そんな甘い考えのもとで作り始めました。
その後は何かに取り憑かれたように準備を進めて動画を作成していました。
ですが、一度書き終わった文章を見直すことが、こんなに大変だとは全く考えていませんでした。
文章で伝えたことを、そのまま音声にしても上手くいきません。
口から発せられる言葉と、文字の上の言葉は変わらないように見えても、完全にイコールではないのです。必ず翻訳しなければいけないのです。
そのまま文章をコピペして音声を出力させれば、簡単にできると考えた自分を呪いました。ましてや、自分の下手くそな文です。
見返すたびに粗が見つかって、どんどん文面が変わりました。
自分の一番主張したい、大事な場面に差し掛かるほど、自分の気は重たくなりました。
本当にこれで伝わるのか心配になって、手をつけるのが怖かったのです。
その不安だけ作業時間は増えていきました。
しかし、それでも自分はなんとか最後まで作り切りました。
何よりも新しく色々なことを学べましたし、編集作業も楽しかったです。
それに少しづつ形になっていくのを見るたびに、ここで止めるのは惜しいとも思いました。
noteの感想文からの加筆修正が多いので、今の自分の考えや思いはこの動画が最も近いです。サムネに大きく「傑作」と入れたのは、半分本気で半分冗談です。他の動画に対する煽りの意味合いもあります。
流石に「傑作」の文字を入れるのは、安っぽくていかがなものかと迷いましたが、下手に攻撃的なサムネよりは、いくらか良心的かなと最後には思ったので入れました。
それに、こう書いておけば、この動画が「ラブライブ!スーパースター!!」を攻撃するものではなく、本気で肯定するものだと、見る前に安心して欲しかったというのもあります。
それぐらい、批判の動画が多いですからね。うんざりするぐらい。
(肯定的な動画ももちろんあります。コメント欄も良心的です)
肯定的な感想を率先して見たい人は少数だと思いますが、自分なりのささやかな抵抗です。低評価の割合は、普通にいけば第12話の比率と同じぐらい7割を超えるでしょうね。
そうなったら自分のメンタルが心配です、というかその前に誰も見ないか。
短くはないので見るのは大変ですが、気になる人はこちらから見れます。
そうして、何か大きなことをやり遂げた気にもなりましたが、完成させると途端に寂しい気持ちになりました。
作っている最中は「早く終わらせたい、真剣に見るやつなんて誰もいねーよ」なんて思うこともありましたが、完成を目指した高揚感とワクワク感が懐かしくも感じました。
そして感想を書き上げた時と同じように、周りの意見をまた見たくなってしまったのです。どうせどれ見ても酷評されているのは分かっているなら、
自分が嫌悪した批判動画でも試しに見てみるかと思うようになったのです。
もしかしたら、自分の動画で言ったことが、もう既にその動画で語られてしまっているのでは、と気になったのです。
そんなことあったら、自分が動画にした意味がないと不安にもなりました。
自分の負け?を覚悟しながらも、恐る恐る動画を視聴しました。
はい、もちろん心は傷つきました。
罵倒はなんであれ辛いものです。好きな人がいるなら教えて欲しいです。
一刻も早く見終わりたいので、倍速機能を使いました。(ゆっくりしゃべんじゃねぇよ)しかし、収穫はあって、あることに気づきました。
そのことが実はこの記事の直接の動機になりました。
もっと早く言えと声が聞こえる気もしますが、一旦横に置いておきます。
自分は今まで、「ラブライブ!スーパースター!!」の批判の中で、ご都合主義がその中心にあると思っていました。
キャラクターが脚本の都合で動かされているというものです。
見る前から想像の範囲内のことだったので、適度に心を傷つけながらも、その主張を理解しました。
まぁ、自分も心当たりが無いわけではなく、そう考えていた時もあったのも事実ですから。
ですが、もう一つ大きな批判点があったことには気づきませんでした。
自分の中では考えもしなかったことです。
「分からない」とは?
それは、「結局2期がどういう物語なのか分からなかった」という主張です。自分は最初これを聞いた時「???」と思いました。
本気で言っているのかな?批判することが先立って、ムチャなくちゃ論理でも大きい声で言えば、通用すると思っているのかと、少し驚きました。
それだけではなく、「2期生が加入した意味が分からない」とか「サニパが敗退した理由が分からない」とか、とにかく「分からない」ということを連発するのです。
実は自分が見た動画だけではなく、その他の媒体でも支持を集めた批判の中には、「分からない」と言うのが大きなキーワードになっていました。
キャラクターの描写不足という指摘もこの中に入れて良いでしょう。
正直、自分としては呆れる気持ちもないわけではないです。
「分からない」時は、自分なら少しは考えてみます。
もしかしたら、分からない自分の方が恥ずかしいかもしれないと思ってしまうからです。大抵の場合は、納得する答えが見つかります。
たまには見つからない時もありますが、その時は「分からない」と堂々と言えば良いだけです。
しかし、この場合の「分からない」はどれぐらい考えてみた結果なのでしょうか。少なくとも、アニメ本編をもう一度見返した人はどれぐらいいるのでしょうか。
(一回で分からなければダメだ!という批判はここでは無視します。一回でわかる人もいます。)
本当に分からないのか、分かった上であえて批判しているのか。
どっちが正しいのか見当もつきませんし、断言することも憚れますが
「おそらく本気で分からないのではないか?」と考えるようになりました。
もしくは都合の良いように物語を解釈して、答えが見えないだけではないかと思います。
自分としては本気で向き合って、感想の記事を書いたつもりです。
1期が描いたテーマと、それを受けて2期で描きたかったテーマを中心として、「ラブライブ!スーパースター!!」とは何なのかを自分なりに答えを出したつもりです。
その過程ではあえて語らなかったこともありますが、自分で出した話題に「分からない」は絶対に使いませんでした。
自分で考えて分かったことだけを書く、もし「分からない」なら書かない方がマシだと思います。
見た人が新たな視点を持つきっかけになって、こういう考え方もあるのかと、見る前より見た後の方が豊かになってほしいからです。
他人の文章を読むということは、自分の中になかったものに出会うことです。決して「自分の気持ちを撒き散らして、他人の共感を得よう!スッキリしたい!」ではないと思います。
だからこそ、そんな批判を見るたびに自分は悲しくなりました。
他の人が本気で考え抜いた「ラブライブ!スーパースター!!」の世界を自分は知りたかったです。自分にはない、あなただけが持っている、素敵な感情や熱い想いをもっと見たかったです。
しかし、現実に溢れているのは、オリジナリティもなくどこかで見た薄い言葉の数々です。
彼らは本気で「私だけの考えを見て!」と力説しているのでしょうが、
自分から見れば取るに足らない軽い気持ちで書いているのだろうなと思ってしまいます。
彼らが話題にするのは、自分の見たかった理想と現実の差がいかに酷いかだけです。
それは作品を本当に語っていることになるのかなと疑問に持ちます。
基準はいつも自分の中にしかなくて、「分からない」ことを分かる努力すら恥ずかしいと思っているのでしょうか。
分かってしまったら、自分の負けとでも考えているのでしょうか。
勝ち負けじゃないのに。分からないより、分かった方が楽しくないですか?
自分の頭で考えることは楽しいことだと思います。
それは何も屁理屈を考えることではありません。
本気で考え抜いたことは、嘘や妄言になるはずがないからです。
「分からない」を終わらせる
自分がこの記事でやりたいことは、
「ラブライブ!スーパースター!!」の「分からない」を終わらせることです。
あまりに世の中に多すぎると感じます、いつまでやるつもりなのかと不安になります。もういい加減にして欲しいといった感じです。
正直にいうと、あまりやるべきではないのかもと思います。
一つはもう既に自分の感想記事や動画があるからです。
それと同じ主張や考えをここでもきっと繰り返してしまうと思います。
自分の中ではこれで十分かと精一杯頑張ったつもりでしたが、それでもまだ足りなかったと感じました。
全く他人の考えていることはつくづく分かりません。
もう一つは、それをやることで「分からない」が消えるからです。
一見矛盾しているようですが、「分からない」は全否定するものではないと考えています。「分からない」が「分かる」ようになるから楽しいのであって、最初から全てが分かっているのなら面白みはありません。
いつか分かるかもしれない人に「分からない」の答えを(”絶対の”答えではありません、あくまで”自分の中の”答えという意味です)
無理やり提示することは、その人の楽しみを奪うことになってしまうからです。それに細かい演出の意図をわざわざ言葉にするのも何だか恥ずかしい気もします。
これから一つ一つの「分からない」をできるだけ丁寧に考えていきたいです。思い込みではなく本編中のセリフは正確に引用して、前後の話数の脈絡も考慮した上で話を進めたいです。
できるだけ都合の良い解釈は避けるつもりですが、自分の想像で補った部分も必ず含まれてしまうと思います。
最終的には作品に絶対の答えはないと思います。あくまで自分が考えた結果だということです。しかし、それは本気で考えたことですので、妄信的な気持ちは一切ありません。
「ラブライブ!スーパースター!!」の「分からない」を終わらせることは、
自分の中では必然的に「ラブライブ!スーパースター!!」肯定論に繋がります。自分の中では無理して否定する方が難しいです。
「ラブライブ!スーパースター!!」は肯定するに値する作品だと心から信じています。その態度表明は、自分の知らない、でも自分と遠く離れていない誰かを傷つけてしまうはずです。
わざわざたくさんの娯楽の中から、「ラブライブ!スーパースター!!」を選んだもの同士ですから、自分と全く違う人なわけがありません。むしろ誰よりも近いものを持っていることでしょう。
自分としては、そんなあなたと傷つけ合うことは良くないことだと感じます。好きなものが同じ同士、仲良くするべきなのでしょう。
でも、やらせてください。
この作品がただ否定されるのを指を咥えて見ているぐらいなら、
自分とあなたと作品が傷つく結果になったとしても、
自分は「ラブライブ!スーパースター!!」を全力で肯定したいです。
世間の意見とは真逆で、圧倒的に不利な状況だと思いますが、
その中でも「ラブライブ!スーパースター!!」を愚かにも擁護した馬鹿がいた証をここに残したいです。
遊びではなく本気で批判していると逆に信じているからこそ、自分も本気でぶつかりたいと思います。
それでは、よろしくお願いします。
疲れたので、その2へ続きます。
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