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【#6_卒論連載】街を案内し照らす電柱と電線

💡 このnoteは2021年度私が執筆した卒業論文をもとに、大幅に加筆・修正を行ったものです。

要旨

  • 「広告」を掲載する場所としての事例。

  • 「街灯」を設置する場所としての事例。



6-1-1 電柱広告

 次に電柱広告と電柱のネットワークをまとめる。

 まずは、電柱広告の歴史を簡単に攫っておく。日本最初の電力供給事業会社である「東京電燈株式会社(現在の東京電力株式会社)」は1890年、社外から電柱を広告媒体にしたいとの申し出を受け、電柱広告の事業を開始する。明治中期は軽工業の発展や鉄道の発展、新たな商品の発売など消費者の生活が大きく変化していた時期である。電柱の出現と広告の需要がリンクした結果、電柱広告が誕生したという経緯がある。

広告主-広告-電柱-共架サービス-管理団体

 電柱の法律・規則についてもここで簡単にまとめておく。

 東京都屋外広告物条例によると、電柱には許可を受けたもの以外の広告物を貼ることは禁止されている。また、電柱を利用した広告物は「案内誘導広告物等であること」が条件になっている。電柱広告の種類は「掛広告」「巻広告」「小型公共表示」からなっており、「掛広告」「巻広告」は自治体、法人、個人事業主が利用でき、「小型公共表示」自治体のみが利用することができる。


図5-1 | 電柱広告の掲載場所
東電タウンプランニングHPを参考に作成)
図5-2 | 電柱広告の種類
東電タウンプランニングHPから引用、修正)

 電柱は電線を支持するのが元々求められていた機能である。しかし、電柱に電線を架線するまで、最低でも2.5mの高さが必要であり、地面と電線までの距離は電柱の余白空間として存在している。その余白空間は資本主義のなかで、商品として価値を見いだされていった。特に、地面と電線の間は人間の身体を内包する空間であり、そこに物的なマテリアリティを持ち、さらに反復されながらある電柱は人間と資本をつなぐ媒体となっていく。

 東電タウンプランニングの電柱広告の媒体表をみるとそれが顕著に見えてくる。電柱の余白空間は「歩行者の多さ」「駅前」の人の多さや「視認性」「渋滞ポイント」「信号そば」の人が滞留する度合いなど、場所の特徴によって分節化され価値づけされている。

図5-3 | 電柱広告の媒体資料(東電タウンプランニングHPより引用)


 ここで北田暁大(2002)の都市空間と広告の議論から、電柱広告というものを捉えてみたい。
 北田によると広告はある特定のメディアに寄生すると同時にそのメディアから脱文脈的な特徴をもつという。新聞や雑誌、テレビのなかに現れ、広告として消費者の欲求を作り出すために他のものと差異を作り出し、それゆえ脱文脈的になってしまうのだ。

 そういった特徴は都市空間に広告が進出すると、当然都市空間というメディアから脱文脈的なカタチを取ることになる。都市空間の文脈からはみ出す過度な演出をする広告は、空間の秩序を希求する「近代都市の論理」によって規制されていくことになる。「近代都市の論理(秩序)」と「広告の論理(無秩序)」は交わることが難しいのだ。

 では、電柱広告はどのように都市空間に存在することができているのだろうか。まさに広告の倫理が問題化していた70年代「屋外広告物法」改正法案の可決をきっかけに、東電広告株式会社は「電柱広告掲出基準」の策定を行っている。その前段である「電柱広告掲出の基本方針」を見てみよう。

「電柱広告掲出の基本方針」
1.電柱広告は、地域環境や地域特性に調和し、地域の発展に寄与する広告であること。
2.電柱広告は、お客様と地域の人々の支持と信頼が得られる広告であること。
3.電柱広告は、関係諸法令に則り、常に時代を先取りした広告であること。
4.電柱広告は、美しい色彩・清楚な文字・誠実な表現の広告であること。
5.電柱広告は、丁寧に制作し、堅固に取付け、常に美しく、管理された安全な広告であること。

(東電広告株式会社2007:45)

 ここからわかることは、電柱広告が都市空間というメディアから脱文脈的であることをやめ、都市空間という文脈に沿った広告に変化したことだ。つまり、「広告の論理(無秩序)」を「近代都市の論理(秩序)」に収めることになったのである。これは東京都屋外広告物条例の電柱を利用した広告物は「案内誘導広告物等であること」が条件からも読み取れる。電柱広告は人間の欲求を作り出すのではなく、ただ人間を案内するだけのエージェンシーとなった。

 電柱広告は広告の本義である差異を生み出すことをやめ、むしろ都市空間に同化するカタチのメディアになる。都市空間での電柱広告の存在感のなさはそこに起因するものだろう。それは物的なマテリアリティを持つ電柱をローカルなモノにし、ローカルな広告主を受け入れていくことになる。

 「電柱広告掲出の基本方針」の上の二文を読んでほしい。そこには「地域」という言葉が重要視されていることがわかる。【#1】のインフラの議論を当てはめると、電柱はそのローカルな土地の文脈とは関係なく「脱-埋め込みシステム」として、脱文脈的に設置されていった。それは「広告の論理(無秩序)」と類似している。しかし、【#3】で指摘したように、長期間その場所に物的なマテリアリティとして固定され続けることによって同化を引き起こした。

 そして、案内誘導広告の広告媒体として機能し始めることによって、ローカルな地域社会とネットワークを結ぶことになる。電柱の付近にある病院や理髪店、飲食店と地域社会を結ぶ結節点として、それらの店を地域社会に埋め込むエージェンシーを持ち合わせるのである。それは非常にローカルな文脈に沿ったものであり、「脱-埋め込みシステム」が、ローカルな共同体に再び埋め込まれてゆく「再-埋め込みシステム」として転回を起こしているとも指摘できる。

 ここまでのネットワークを整理しよう。消費社会の幕開けと共に人間の身体を内包する地面と電線の間の空間に生まれた電柱の余白空間は広告媒体としての機能を持つようになった。しかし、「近代都市の論理(秩序)」と「広告の論理(無秩序)」の対立により、電柱は「近代都市の論理(秩序)」の文脈にそった、広告形態になっていく。それは物的なマテリアリティがローカルな土地に固定されている特徴上、地域社会の文脈と密接に結びつき、案内誘導広告として展開することになる。「脱-埋め込みシステム」という特徴をもったインフラがローカルな結びつきをもった「再-埋め込みシステム」として転回することになったのである。


6-1-2 街灯

 次に街灯と電柱のネットワークをまとめる。まず、電柱に設置されている街灯についての確認を行い、電柱に街灯の関係性のネットワークを見ながら、そこにおける電柱はどのように立ち現れているのかを整理しよう。

歩行者-道-光-自治体-電柱-腕金-共架サービス-電線

 電柱に設置されている街灯は防犯灯や道路照明灯と呼ばれているものである。鎌倉市によると、防犯灯は「通学路や生活道路での犯罪防止などを目的」としており、おもに自治・町内会などが維持管理を行っているもの。道路照明灯は「夜間の交通の安全と円滑化のために、交通量の多い市街地の幹線道路や交差点、見通しの悪いカーブ、交通事故の多発箇所などに設置」しており、国や県、市といった道路管理者が維持管理を行っているものと定義されている。

 近森高明(2005)は街路空間における街灯の存在様態についてシヴェルブシュの公安用照明と商業用照明という照明の機能による区分を参考に、公安用照明には「市民の安全をめざし、公的な管理による、均質的な照明装置」(近森2005:486)という要素が必要であり、商業用照明には「顧客の誘致を目的とする、私的な運営による、個性的な照明の装置」(近森 2005: 486)という要素が必要だとしている。鎌倉市による防犯灯や道路照明灯の定義は、まさに公安用照明と重なり合うものである。電柱に設置される街灯は「市民の安全をめざし、公的な管理による、均質的な照明装置」ということがいえるだろう。


 次に、電柱に街灯が設置され始めた契機について簡単にまとめる。

 戦後間もない昭和30年代は、日本において夜の街は安心して歩ける状態ではなかった。国はその状況を踏まえ、1961年に「防犯灯等整備対策要綱」を閣議決定、全国的に「明るい街づくり運動」が展開される。上記の要綱のなかでは、電力会社や通信会社が防犯灯などの整備に対して、便宜を図ることが要求されている。東京電力はそれをうけ、管理している電柱に街灯を取り付けることを容認、これは次に説明する電柱共架の取り組みのはじまりでもある。こうして、国を挙げた夜間の都市空間の安心安全への取り組みは、電柱を巻き込みながら進展していく。


 続いてそういった街灯と電柱がどのような関係性をもっているのか確認する。

 ここにおいて重要なアクターとして出てくるのが電柱の各管理者が提供している共架サービスである。共架サービスとは電柱は電線を支持するモノとしてではなく、通信設備、街路灯、交通信号、標識などを支持する設備としても利用できるようにするサービスである。東電タウンプランニング株式会社の場合「電気事業の遂行に支障をきたさない一定の条件の下で、公共的な設備を共架」することを認めており、共架可能範囲を図5-4のように設定している。共架には共架料や調査料、工事費などが必要になる。

図5-4 | 共架可能範囲(東電タウンプランニングHPから引用)


 これは電力線や通信線が架線されている部分以外の余白空間は管理者による共架サービスとの関係性のなかで、商品として資本を生産する空間へと変化したとも言える。さらには水平方向へのマテリアリティを持つ腕金の設置によって、垂直で円柱のコンクリートにモノをくくりつけるだけではなく、吊り下げることも可能になった。他のアクターとの関わり方の広がりを持つマテリアリティへと変化し、商品価値を高めているのである。電柱共架によって発生した空間は、街灯などの公的な設備であるアクターとの接点を持ちえる媒介となるのである。

 電柱への共架は街灯にとっても非常に都合がいい、電柱の共架がなければ地面からポールを立て照明を設置する必要性がある。道理管理者とのコミュニケーションから工事、維持管理などを行う必要がある。もちろん電柱の共架であっても照明それ自体の工事や維持管理は個別に行う必要はあるが、既にポール的なマテリアリティを持つ電柱に共架するメリットは大きい。

 ただ、電柱と街灯の関係性は「一本の電柱」と「一つの街灯」の関係性だけで完結しない。そこには「複数の電柱」と「電線」と「複数の街灯」という視点が必要である。

 「複数の電柱」がもつマテリアリティ、それは「反復性」である。【#4】でも確認したように、電柱は30−50mの間隔で反復されながら設置される「反復性」というマテリアリティをもつ。日本の電力供給のシステムは日本の後背地にある発電所から変電所へ送電され、変電所から各家庭や工場に配電される。送電や配電は地下に電線を設置するかで、架空電線で行われるかであるが、架空電線は(送電部門であれば)鉄塔や(配電部門であれば)電柱を一定の距離で大量に反復させ、電線を変電所や家庭、工場まで連続させる必要がある。

 さらに配電部門の電線のもつマテリアリティである線としての「つらなり」は、道という空間と強く連環をもつ。人間が移動するための連続的に続き公的に管理されている道(私道を除き)という空間は、線としてつらなる電線とそれを支持する連続性をもつ電柱を支持する事ができる空間である。「道という線的な連続性を持つ空間」と「電柱・電柱という連続性・つらなりを持つマテリアリティ」はこういった面でリンクしている。

 では、こうしたマテリアリティをもつ電柱と電線に照明を設置するということはどういったエージェンシーを生むだろうか。照明は電柱に設置されることによって電柱の反復性と呼応して道沿いに反復しながら光のつらなりを作ることになる。そこにおいて照明は点として空間を明るくするだけではなく、線として道を明るくするエージェンシーとして立ち現れるのだ。この項の冒頭で確認した街路における公安用照明の必要な要素は「市民の安全をめざし、公的な管理による、均質的な照明装置」であった。線として道を明るくするエージェンシーは公安用照明の諸要素にとって必要なエージェンシーである。


 ここまでのネットワークを整理しよう。電線を支持する電柱はその余白空間を共架によって商品化する。ここにおいて街灯と関わりをもつ媒介が生まれる。さらに電柱に設置された街灯は電柱の「反復性」と電線の「つらなり」に呼応しながら道に光のつらなり(公安用照明)を作り上げることが出来たのである。

 昼間の電柱と電線の「反復とつらなり」、そして夜間の光の「反復とつらなり」。一日を通したその往復が日々「反復」し、日本の都市空間に今日も「つらなり」続けている。


図5-5 | 電柱に設置された防犯灯(2022/01/10筆者撮影)
図5-6 | 防犯灯の反復とつらなり(2022/01/10筆者撮影)






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記事一覧

📚(このnoteの)引用・参考文献リスト
東京広告株式会社,2007,『目で見る電柱広告の歴史』東京広告株式会社.
近森高明,2005,「街路空間における〈光〉の管理」『社会学評論』55(4),pp483-498.

新聞
「街路灯を無料で改修東京電力、防犯運動に協力」『朝日新聞』,1961年4月29日,朝刊,p12.

WEBサイト
(公社)日本防犯設備協会「防犯照明ガイドvol.5 」
東電タウンプランニングHP「電線共架」(2022/01/10時点)



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小林 翔
ここまで読んでくださりありがとうございます。 今後、「喫煙所」の研究をする際に利用する予定です。ぜひよろしくお願いします!