【#5_卒論連載】電柱は排泄物の受け皿
要旨
ここでは実際の「電柱と電線」と人間、その他のモノとの関係性を見てきます。
犬や人間が電柱に「トイレ」をする事例。
電柱の麓が「ゴミ置き場」として利用される事例
語句紹介
本文に入る前にこのnoteで出てくる語句について簡単に紹介。詳しく知りたい方は【#4】を。
エージェンシー
マテリアリティ
5-1-1 事例紹介
5-1-1 トイレ
犬が散歩中に電柱にトイレをすることは、おなじみの光景であろうか。(もちろん犬だけではなく人間も犬の位置に入ることもある。)
一体いつからあの光景が日本に現れたのかはわからないが、電柱とその他のアクターとの関係が如実に合わられている例であろう。まずはこの事例から検討するため、この事例に現れるアクターの整理を行う。まずは犬の事例を取り上げるがそこで現れるアクターは以下のように表現しておこう。
飼い主-犬-散歩-地面-電柱-排尿
まず、飼い主と犬は散歩という行為をもってセットで外部空間に出てくる。そして、犬は外で排尿し始めるわけである(犬の排尿行為にはマーキングの意味もあるようだがここでは、そういった動物の本能的な原理は一旦置いておき、排尿という行為そのものに焦点を置く)。
その場所として選択される一つとしては、飼い主と犬が散歩している「コンクリートで舗装された地面」、そしてそれに対して垂直に現れる「円錐形の鉄筋コンクリートの電柱」が作り出す空間である。それは犬の尿を受け止めることが出来る意味空間として立ち現れてくる。
飼い主と犬が散歩という行為で出てくる道は主に地面という安定した水平方向のマテリアリティを持っているが、原っぱのように広大に水平方向に広がっているわけではない。日常的に行われる散歩という行為で選ばれる場所は、家の近くの道であり、その道は建物や塀、ガードレール、電柱などの垂直方向のマテリアリティによって制限されている。その「水平方向と垂直方向のつなぎ目」は犬の排尿行為との関係によって、排尿を受け止める空間としてのエージェンシーを持って現れる。電柱に排尿する場合は、電柱の鉄筋コンクリートと地面のコンクリートが一体になり、排尿を受け止める空間として一時的に立ち現れるのである。
しかし、この事例はここでは終わらない場合もある。排尿の場所として立ち現れた電柱と地面の付近に住む近隣住民の存在がさらにこのネットワークに参加してくるのだ。
電柱への排尿行為(飼い主-犬-散歩-地面-電柱-排尿)-近隣住民-ペットボトル
近隣住民は家の目の前の電柱と地面が排尿を受け止めるエージェンシーを持つことに嫌悪を持つエージェンシーを持って現れる、そして排尿を受け止めるエージェンシーを持つ「水平方向と垂直方向のつなぎ目の空間」を埋める、もしくは近隣住民の存在を顕示する行為にでる。
そこでは、多くの場合はペットボトルというモノが出現する。ペットボトルはほとんどの家庭に存在するモノであり水を入れることによって、風に飛ばされることもない。(このペットボトルは猫よけ目的で置かれることも多く、必ずしも犬の排尿避けとは限らない。)
近隣住民は電柱の根元をペットボトルで囲む。しかし、犬にとってそこはまだ「水平方向と垂直方向のつなぎ目の空間」であり、ペットボトルで電柱を囲うことは犬と排尿と地面と電柱という関係においてそれぞれのエージェンシーに影響を及ぼさない。
ここで新たに現れるアクターとして飼い主が現れてくる。飼い主はペットボトルで囲われている電柱を見て、近隣住民の嫌悪を感じ取るエージェンシーとしてここでは現れてくる。飼い主はその電柱に排尿をしようとする犬を、その電柱から遠ざける。ここにおいて電柱と地面は近隣住民とペットボトル、そして飼い主のエージェンシーによって排尿を受け止めるエージェンシーを失うのである。そこで残るのはペットボトルに囲われた電柱という特異な景観である。
電柱への排尿行為(人間-酒-地面-電柱-排尿)-近隣住民-鳥居
やや、冗長になりそうなので人間が電柱に排尿する事例は詳しくは説明しないこととする。犬の事例とほぼ同じアクターが現れるが、一点違うのは鳥居というアクターである。鳥居は人間との関係においてある種の神聖性や(神から)まなざしというエージェンシーを持ち合わせることになる。人間の排尿は鳥居の神聖性によって抑止され、失われていくことになる。そこで残るのは鳥居と電柱というこれまた特異な景観であろう。
5-1-2 ゴミ収集所
次の事例はゴミ収集所である。電柱がごみ収集所となっているのも日本においては見慣れた光景ではないだろうか。これもまた、電柱をめぐる現象として挙げるには好例であろう。
まずは日本のゴミ処理システムの概要を整理し、ゴミ収集所の立ち位置を東京都のゴミ処理の流れを参考に整理しよう。
東京のゴミ処理は大きく3つの工程に別れている。1つ目は23区が担当している、「収集・運搬」。2つ目は東京二十三区清掃一部事務組合(清掃一組)が担当している「焼却や破砕(中間処理)」3つ目は東京都が担当している処分場への「埋め立て」である。
住民がゴミ収集所にゴミを置く過程は1つ目の「収集・運搬」に含まれる。個人によってゴミと認識されたモノは自治体などによって規定されたゴミ袋や分別方法によって分節化され、そして地域の決められたゴミ収集所に置かれる。地域一体のゴミはゴミ収集所にまとめ、滞留し、ゴミ収集車はそれを回収し、ゴミは無事ゴミ処理システムへ接続されていく。
要するにゴミ収集所とは家庭や地域と国家やインフラとの結節点かつ、ゴミの滞留点なのである。各家庭でまとめたゴミをある一括の地域でまとめ、ゴミ収集所に滞留させることによって、効率よくゴミを収集できるのだ。
次には電柱がゴミ収集所として選ばれる過程のアクターを整理しよう。
地域住民-家-ゴミ-地域-地面-電柱
地域によってごみ収集所を決める方法は様々であるが、多くの場合は近隣数件の家と合同でゴミ収集所を決め申請するといった方法を取るのがメジャーである。その地域にゴミ収集所専用の空間があればそこになるが、それがない場合も多み。その場合は近隣住民同士の合意した場所になるのであるが、それに電柱が選ばれる時にはどのようなプロセスがあるのであろうか。
ここでもまた地面と電柱はセットのアクターとして捉えるべきであろう。水平方向の安定性だけではゴミを固定することは難しいが「水平方向と垂直方向のつなぎ目」という垂直方向に伸びる鉄筋コンクリートの安定性があることでゴミを固定しやすい。また、電柱は近隣住民の誰の所有物でもないので、ゴミ収集所として選ばれる際の合意を取りやすさもある。誰も自分の所有物をゴミ収集所にしたくはないだろう。
ごみ収集所を決めるプロセスの中で地面と電柱の「水平方向と垂直方向のつなぎ目」はゴミ処理システムと近隣住民の合意によって、ゴミを受ける場所として立ち現れることになる。それはゴミの滞留点であると同時に家庭や地域と国家の結節点としてのエージェンシーを持つ。
ただこのゴミ収集所をめぐるネットワークはトイレの事例と同様にさらに広がりを持っていく。以下でさらにその説明をしていく。
ゴミ収集所(地域住民-家-地域-地面-電柱)-家庭ゴミ-ルール-看板-ゴミ収集車-カラス-ネット
上記のネットワークは電柱をめぐるネットワークによってゴミ収集所として安定したものにさらに他のアクターの出現によって電柱のエージェンシーが変化していく可能性が見て取れる。
まず、前提としてゴミ収集は地域の自治体で行われるものであるので、そこには一定のルールが存在している。それは地域によって様々であるが、ゴミの分別やゴミの種類ごとの捨てる日、ゴミ袋の形態、縛り方、など様々である。そういった地域によったルールを共有する方法として、ゴミ収集所にはルールを共有するための看板がある場合が多い。
看板の出現は電柱のエージェンシーにも変化を与える。看板は電柱に括り付けられることがあり、看板を支えるものとしてのエージェンーを獲得する。
さらに、もう一つの展開として、カラスの出現がある。日本人にとってはお馴染みの光景かもしれないが、カラスは生ゴミの袋を啄み、ゴミを食べはじめ、その周辺にゴミを散乱させるエージェンシーとしてそこに出現する。
それに対して、ネットという新たなアクターが出現してくる。ゴミをカラスに接触させないようにするエージェンシーを持ったネットは、ゴミを包むように掛けられカラスからゴミを保護するようになる。ゴミが収集されるとネットは電柱に縛られるか、はたまた電柱にネットを格納するかどが取り付けられその中に格納されるようになる。
ここにおいて電柱はまたネットを支えるものとしてのエージェンシーも獲得する。電柱は円形になっているので何かを括り付けたりすることがしやすいマテリアリティを持ち合わせていることが上記のようなエージェンシーを立ち上げたと言えるだろう。