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【#2_卒論連載】電柱と電線の基礎知識

💡 このnoteは2021年度私が執筆した卒業論文をもとに、大幅に加筆・修正を行ったものです。

要旨

 社会学的な側面の電柱と電線のあり方を考える前に、技術的なモノしての電柱と電線を捉え、次章以降の議論の準備をする。そのため電柱と電線の役割、形状を作り出す技術や法律、歴史を簡単に確認する。そのうえで電柱と電線の普及や乱立の経緯、無電柱化の流れを攫い、電柱と電線独自の「地」と「図」の展開について明らかにする。



2-1 電柱と電線の役割

 電柱と電線の主な役割は二つある。

 一つ目は「電力を送る」こと。
 日本の電力供給施設は大きく「発電部門」「送電部門」「配電部門」に分かれている。電線と電柱は「送電部門」「配電部門」に属するインフラであり、発電所で作られた電力を工場やビル、一般家庭に電力を送っている。

「送電部門」は鉄塔を想像してもらいたい。一般的に発電所は都市部から離れた場所に建設されているのでそれを都市部まで運ぶ必要があり、「送電部門」はその役割を担っている。電力は送電する間に熱エネルギーとして外に逃げてしまう(電力ロスと言う)が、その電力ロスは電圧が高ければ高いほど小さくなるので、「送電部門」では発電所から都市部まで超高電圧で電力を送電している。発電所から送られる電気は275-500kVの高圧で超高圧変電所で154kVになり、一次変電所に送られ66kVになり配電用変電所に送られる。これ以降は「配電部門」に受け渡される。「配電部門」は身近にある電線と電柱を想像してもらいたい。一次変電所に送られた電力を各家庭やビルなどに配る役割を担っている。電柱に架かっている電線は大きく高電圧帯(6.6kV)と低電圧帯(0.1-0.2kV)の2種類の電圧の電線があり、低電圧帯の電線から各家庭やビルなどに電気が供給されている。管理主体は主に電力会社である。本論文では都市の内部で見られる「配電部門」の電線と電柱に研究対象を絞り進めていく。

図2-1 | 電気を届ける仕組み(中部電力HPを参考に筆者作成)

 二つ目は「情報を送る」こと。電線は情報通信を支えるインフラの一部でもある。電話線、光ケーブル、ケーブルテレビ等がそれに含まれる。管理主体は主に通信会社である。

 電線には「電力を送る役割」と「情報を送る役割」があるため管理主体が「電力会社」と「通信会社」で分かれている。

 一方電柱は、

  • 「電力柱」:主に電力会社が管理する、配電線を目的に設置する電柱。

  • 「電信柱」:主に通信会社が管理する、通信線の支持を目的に設置する電柱。

  • 「共用柱」:配電線と通信線、共に架線されている電柱。地面に近い方に管理番号表示がある方が管理会社になる。


 以上の三つに分類され、それぞれ管理主体が違う。

 本論文では都市の内部で見られる「配電部門」の電線(通信線含め)と電柱(電力柱・電信柱・共用柱)に研究対象を絞り進めていく。




2-2 電柱と電線の役割

2-2-1 付属物と技術

線系
・高圧配電線:配電用変電所とつながっている電線の流れている電気は6,600ボルト。電柱の一番高い場所にある。主に三相交流方式が採用されている。遠方用と近場用で2回線架けられている場合もある。(3本×2回線)

・低圧動力線:柱上変圧器で、変圧した200ボルトの電気が流れている電線。小さな工場向け。三相3線式を採用。

・低圧電灯線:柱上変圧器で、変圧した100ボルト・200ボルトの電気が流れている電線。一般家庭向け。単相3線式を採用。

・架空地線:雷が配電線に落ちるのを防止するための線・高圧引き下げ線高圧配電線からがいしを伝って変圧器に繋がる線・引き込み線家庭に電気を引き込むための線・接地線(アース線)配電線や変圧器から漏電した際、漏れた電気を地面に逃すための線・電話線NTTのアナログ電話や、ADSL回線を利用するための線

・CATV線:CATV(ケーブルテレビ)用のケーブル。アンテナがなく家で、テレビが見られている場合は、CATVケーブルが引き込みされている。

・光ファイバーケーブル


・電柱:電線やその他の付属物を支える柱。昭和30年代までは主に木製の電柱が使用されていた。使い防腐剤によって色合いが違ったりする。昭和30年代後半になると、コンクリート製の電柱が主に使用されはじめた。木製の耐久年数は十数年だが、コンクリート製の電柱は四十年ほど。標準的な高さ(括弧内は直径)は10m(1.7m),12m(2m),14(2.4m),16m(2.5m)。

・支柱、支線:電柱が電線に引っ張られて傾かないように、柱を支える支柱や支線が使用される。

その他
・柱上変圧器:配電用変電所から送られてくる6,600ボルトの電気を100ボルト・200ボルトの電圧に変える装置。

・碍子:電線と電柱を絶縁するもの。高圧用と低圧用がある。

・腕金:電線を支持する碍子などを取り付けるために柱に固定する金属部品

・共架サービス:電柱の利用していない空間を利用して公的な設備を設置できるサービス。例えば、通信設備、街路灯、交通信号、標識など。




2-3 電柱と電線の歴史

2-3-1 電柱と電線の黎明期

 日本に初めて電柱と電線が登場したのは1854年のことだった。米国遣日使節として2回目の来日を果たしたペリー提督が米国大統領フィルモアから徳川幕府へ電信機を献上した。それを利用し横浜で900mの架線を行い通信実験が行われたという。

 その後1869年に横浜、築地間に電信線が繋がり、架空電信線が都市に現れ始める。電信線の距離は32km、電信柱は593本にも及んだ。そして、1886年には日本列島全体に電信網が架空電線によって急速なスピードで整備された。

 日本における通信線の普及を急いだのには2つの理由がある。

 1つ目は、ヨーロッパを中心とする列強諸国からインフラ整備を通した植民地化の危険性である。当時列強諸国はアジアの国々にたいして、鉄道や港湾などの交通網や通信技術などの通信網の施設建設を技術的、資金的に援助していた。しかし、列強諸国はアジアの国々の発展そのものが目的ではなく、その施設の管理を理由に軍隊を派遣し植民地化を進めるのが目的であった。横浜、築地間の通信線を繋げた際の神奈川府判事(神奈川県知事)であった寺島宗則はそういった外的な危険性を十分認知しており、早急に交通網、通信網を整備することが重要だと考え、この取り組みを推進したのである(高田・児玉 2010: 12)。

 2つ目は、通信施設の持つ軍事力及び警察力の向上である。急速に変化をしていた当時代において列強諸国に対抗するためには近代陸海軍の必要があった。通信技術はそれと不可分に繋がっており、重要性を帯びたのである。また、当時の通信施設の利用は利用料の高さからほとんどの民間人は利用することはできず、重大事件が発生すれば、直ちに軍用通信が優先されていた。それは日本中どこの情報でも地方警察から中央に伝えられることが重要な通信の役割であったことが伺える(松田 2001)。

 架空通信線の急速な普及には以上の2つの理由が挙げられる。どちらの理由にも西洋との接近と西洋への対抗という要因が働き、日本の電柱と電線の風景を形作ったのである。

 ここからは電力線の普及について触れよう。通信線の普及から遅れること約10年、1887年、東京に発電所が完成し電気の一般供給が始まり、架空電力線が現れる。当初は低圧直流の小規模発電所しかなく、電気がある場所の近くには必ず発電所があった。つまり、都市空間のなかで電気は発電所と電柱・電線というセットの点として存在していたのだ。1895年になると浅草に高圧交流システムをもつ火力発電所が設置される。これによって電気は東京の中で面的な広がりをもちはじめ、それに伴い電柱の設置数も増加し東京の電化が進んでいった。この配電網成立過程は地域一帯の電力需要というよりも個別の需要者(有力者、商業施設、軍事施設など)が起点となり広がりを見せていく(伊藤瑞希 2019)。

 1907年には山梨県大月市にある駒橋発電所が運転を開始し、日本で初めて高電圧による長距離送電が可能になった。早稲田の変電所までの76kmの送電をおこなった。高電圧の電力の発電ができる大規模な発電所が開発されたことによって、都市に埋め込まれている発電所から発電所が都市から距離をとるようになった。「電気というインフラを消費する場所」と「電気というインフラを生産する場所」を分離させることを、言い換えれば電力インフラの施設の「後背地(ヒンターランド)化」を可能にした。


2-3-2 電柱の乱立

 東京23区の無電柱化率は6%であり、東京の道幅の広い道路を除いてはほとんどの道に電線と電線が存在する。対して欧米の都市の多くは無電柱化が進んでおり、ロンドンやパリでは無電柱化率が100%にまでなっている。日本ではなぜこんなにも無電柱化が進まなかったのだろうか。

 近森(2017)は「仮設状態の永続化」というキーワードとともに日本における電柱と電線の乱立のあり方を整理している。それによると戦前の日本にも電線の地中化が好ましいという考えはあったが、前項でも見たように迅速な電信ネットワークの設備のため、仮設的に空中架線を認めたといった経緯がある。しかし、一旦電柱と電線が地上に設置されると、それが前提として他のシステムが動き始める。当時の通信省は迅速に電信ネットワークを張り巡らすことができ、電力会社は低コストで運営できる。そういった空中架線のメリットを享受しながら、それが常態化されていくといった流れがあった。そうした諸関係の行為のなかで、仮設的にであったはずが、永続化され恒久化されていったのだ(近森 2017: 195)。

 戦後の日本でも同じような意思決定が繰り返された。いち早い復興を果たすために、仮設的に低コストで電力を供給することの出来る空中架線が引かれ、それが永続化、恒久化してしまい、現在の電柱立国を作り上げたのである。


2-3-3 東京における無電柱化の契機

 前項でも見たように日本における地中電線などの検討は仮設状態の永続化によって大規模に実施されることはなかった。しかし、電柱による景観破壊の問題は電柱が現れ始めた頃から指摘されている問題でもあった。現代における無電柱化の議論はある種、「地」として沈み込んだ電柱と電線を「図」として浮上させる議論でもある。それは自然に「図」として浮上するのではなく、何かの契機があり浮上するはずである。

 1888年の時点で神戸の外国人留置所では風致を害するという苦情から、日本で初めての電線地中化が行われた。1890年には浅草公園内でも同様に理由で架線が禁止されるようになった。それ以降も新聞では電柱が景観に与える悪い影響など建築家や作家、外国人映画監督などが書いた記事が定期的に掲載されている。戦後も迅速な復興のため無電柱化されることはなかったが、1986年には国の無電柱化計画と呼応するカタチで東京都では2018年まで続く「電線類地中化計画」が開始される。

 しかし、それらは社会的に大きな無電柱化のブームを作ることはなかった。ただ、日本ではここでは特に東京における無電柱化の議論が大きくなったタイミングは今までで2回ほどあると考える。一つ目が1940年の東京五輪と日本万国博覧会。二つ目は1995-2020年の阪神淡路大震災と東京五輪である。


① 1940年国際的な祭り

 一つ目の契機は1940年東京五輪と同年に開催される日本万国博覧会である。1930年頃から日本は自国でのオリンピック開催を目指しており、1936年に1940年度の東京五輪の開催を取り付けている。さらに同年に日本万国博覧会の開催も決定した。

 東京ではそれらのイベントを契機にストリートの浄化運動が開始される。東京五輪開催の決定の翌月の朝日新聞には警視庁が銀座や上野などのメインストリートから大きな看板や電柱広告、華美なネオンサインなどを取り締まり始めたという記事が増え始めている。翌年の1937年には市と銀座の地元住民、東電の三者の協力により新橋から京橋への1キロの道の年度中の無電柱化が決定し、日本橋までの無電柱化も決定している。さらに同年度、一般市民から銀座のストリートの設計案を公募するといった大胆な施策が行われた。背景には商人と市の問題であった都市景観の問題を市民全体の問題とするためであり、一般市民も都市景観や空間に介入することが可能になりはじめていた。

 しかし、1937年に日中戦争が起こり東京五輪の開催に暗雲が漂い始める。銀座の無電柱化は財政難から大蔵省に五輪を利用した便乗だと非難され、頓挫してしまう。そして同年7月には東京五輪の返上と日本万国博覧会の延期が決定し、日本は本格的に戦時下の状況に移行していく。以降、無電柱化に関する議論は急速に無くなっていく。

② 1995-2020年災害と国際的な祭り

 二つ目は、阪神淡路大震災から2020年東京五輪までの小池百合子の存在である。小池百合子は2016年の都知事選にて「7つのゼロ」というキャッチフレーズを使った。その中には「待機児童ゼロ」「残業ゼロ」などと並び「都道電柱ゼロ」も並んでおり、彼女の中では無電柱化に強い思いがあることが窺える。その背景にあるのは「阪神淡路大震災」と「2020年東京五輪」である。

 1995年1月17日兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震、いわゆる阪神淡路大震災が起こった。都市圏で起こった大規模地震だったこともあり、インフラはじめ多くの都市施設が被害にあった。電柱も約4500本が供給支障に至るような倒壊や傾斜、沈下が見られた。

 現東京都知事である小池百合子は兵庫県出身であり、阪神淡路大震災の被害を経験していた。無電柱化を進める経緯となった震災について自信の本の中で以下のように語っている。

顔見知りのNHK神戸支局の記者が倒れかけていた電柱をバックに、震災直後の現地レポートを伝える姿は今も私の目に焼き付いている。神戸市長田区では迷路のように走る戦後からの路地に、救急車も、消防車も入る余地はなかった。おまけに震災で傾いた電柱が行く手を塞ぎ、手のつけようもない、とはこのことだった。(中略)政治の世界に身を置く1人として、防災の原点から、電柱の林を見直す必要を痛感してきた。

(小池 2015: 24)

 さらに続けて、

二〇二〇年にオリンピック・パラリンピックのホスト国として、首都東京に世界からの訪問客を迎えようとしているのに、このままではいけない。

(小池 2015: 29)

とオリンピックに関連した言及も行っている。

 ここからは阪神淡路大震災が小池百合子に無電柱化の意識を芽生えさせ、東京五輪がそれを加速させたと考えることができる。現在、都政は2021年に無電柱化施策の強化に向けて打ち出した「無電柱化加速化戦略」を踏まえた「東京都無電柱化計画」を改定し2040年までに都道の電柱を無電柱化することを決定している。




 【#2-3】では東京における無電柱化の契機を見てきたが、キーワードとして出てきたのは「災害」と「国際的な祭り」である。

 【#1】でも見たように「災害」はインフラを機能不全にし「図」として浮かび上がらせる契機になる。阪神淡路大震災は都市圏で起こった災害でもあり、電柱が集中している場所でもあった。そのため、上部空間にある電線と電柱はインフラ的な被害だけではなく、モノとして倒壊し交通に多大な被害を与え、無電柱化議論を大きくする要因となり得る。

 そしてもう一つは「国際的な祭り」である。ここで重要な部分は「国際的」ということであろう。これは「海外からのまなざし」と言い換えることができる。日本において電柱は「地」としてある。しかし、「海外からのまなざし」から見た電柱はただ異様な存在である「図」として捉えられてしまう。「国際的な祭り」という契機は日本にそういった「海外からのまなざし」を内面化する契機でもあり、海外から日本はどのように捉えられるかという意識が働くようになったのである。


 ではここでの「海外からのまなざし」の内面化というものはどういったものなのであろうか。そこには西洋の先進国と日本との街並みの構成や美的感覚に問題があるように思える。ここでは芦原義信の『街並みの美学』(芦原,[1979]2001)を議論の補助線に説明したい。

 芦原によると西洋の街並みは建築物の組積造によってうまれる石や煉瓦といった固定的な厚い外壁、それ自体が街並みの輪郭を形作っていることが多い。対して日本では木造によって生まれる薄く流動的な壁があり、街並みそれ自体が流動的なのである。西洋な厚い安定した壁面で規定される街並みの輪郭線を「第一次輪郭線」といい、それに対して壁面以外、例えば電柱や電線、看板といった突起物や付加物といったものが生み出す輪郭線を「第二次輪郭線」と定義している。

 西洋的な「第一次輪郭線」の街並みは強い安定性を持つがゆえに文化的な特性をもつ。石や煉瓦という長い時間変わらずその街並みを形作ってきた不変性があるからである。一方、日本の「第二次輪郭線」の街並みは文化的というよりも流動的であり、短期的な資本の循環に呼応するものである。看板や暖簾は人を外部から呼び込み消費を促すために、電柱や電線はその資本の循環を支える下部組織である。19世紀末の西洋との接触から急速に近代化を遂げてきた日本であるが、その成長は日本流動的な壁と呼応し、街並みに物的なモノを残し「第二次輪郭線」を構成したのであろう。

 そうした状況のなかで「国際的な祭り」が呼び込んだ「海外からのまなざし」の内面化は、人々の欲望に短期的に呼応している「第二次輪郭線」を街並みの基礎として置く日本人から、文化的で安定的な「第一次輪郭線」をもつ西洋への劣等感の認識なのではないだろうか。言い換えると、成熟した西洋と非成熟な日本という図式を作り出し、認識させたのである。

 「国際的な祭り」は成長の大小として非成熟な景観を作り出してしまった日本と西洋の文化的な成熟した景観というものが合流する点としてあり、西洋的な成熟を目指す方向へとシフトしていくというカタチで「海外からのまなざし」が内面化していったといえる。上記で引用した2つ目の小池都知事の言葉はそういった図式を認識しているとも捉えることができるだろう。


 【#1】でインフラがインフラとしての作動しなくなる時、「地」から「図」へと移行するという確認をした。しかし、電柱と電線は下部構造でありながら、上部空間にせり出している特徴上、インフラそのものは動き続けているが「国際的な祭り」を契機に「地」から「図」へと移行することになったのである。




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記事一覧

📚(このnoteの)引用・参考文献リスト
芦原義信,[1979]2001,『街並みの美学』岩波書店.
福田遵,2020,『トコトンやさしい電線・ケーブルの本』日刊工業新聞社.
伊藤瑞希,2019,「明治中期東京市における電気供給と配電網の成立過程について」『都市計画論文集』53(3),pp1336-1342.
北原聡,2008,「近代日本の道路と通信:電信電話の道路占用」『関西大学経済論集』57(4),pp269-289.
小池百合子・松原隆一郎,2015,『無電柱化革命』PHP研究所.
松田裕之著,2001,『明治電信電話(テレコム)ものがたり:情報通信社会の《原風景》』日本経済評論社.
三上修,2020,『電柱鳥類学』岩波書店.
NPO法人電線のない街づくり支援ネットワーク,2010,『電柱のないまちづくり――電線類地中化の実現方法』学芸出版社.
須賀亮行,2020,『電柱マニア』オーム社.
鈴木悦郎・三浦裕二,1995,「明治・大正期の道路占用物制度にみる電柱立国の原点」『土木史研究』18,pp117-122.
高田達雄・児玉浩憲,2010,「植民地化を防いだ電信網整備――雄藩のエリートらが危機に対応」『近代日本の創造史』9,pp3-18.
近森高明,2021,「電柱・電線――立て/埋める」田中大介編著,『ネットワークシティ』北樹出版.
東京都建設局,2019,「東京都無電柱化推進計画(改定)」.
新聞
「化粧する銀座街東京大会・万国博を目指していよいよ美化運動」『朝日新聞』,1936年10月6日,夕刊,p.3.
「銀座の美化へ商人達の新たな運動」『朝日新聞』,1937年4月13日,夕刊,p.3.
「都市美の増進乱立する街の電柱、50万本を地下へいよいよ具体化す」『朝日新聞』,1937年5月4日,朝刊,p.12.
「電柱埋設案”ついにお流れか大蔵省、市の起債を削減/大蔵当局談」『朝日新聞』,1938年6月29日,朝刊,p.10.
WEBサイト
中部電力HP「電気をご家庭にお届けするまでのしくみ」https://www.chuden.co.jp/energy/ene_about/electric/kids_denki/(2022/01/10時点)


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小林 翔
ここまで読んでくださりありがとうございます。 今後、「喫煙所」の研究をする際に利用する予定です。ぜひよろしくお願いします!