死海で浮かんで、
長男がバレーボールの試合でネパールに遠征に出かけていきました。
長男のいない一週間、妻と二人で家にいるのもいいのですが、ひさびさに二人でどこかに行こうということで週末に仕事を休み、3泊で死海へ遊びに行ってきました。
死海といえば中学か高校の地理の教科書に
「水に浮かびながら本を読んでいる人」
の写真が載っていて、そのイメージがいまだに残っています。
死海はヨルダンの首都アンマンから車で1時間です。
アンマンは海抜900メートルと高台にあるのですが、死海は
「世界一海抜が低いところ」
で、海抜マイナス400メートルぐらいだそうです。
と言っても地球の中心までの距離やマリアナ海溝の深さを考えると、海抜マイナス400メートルなんてただの「かすり傷」、虫歯でいえば「C0」か「C1」ぐらいのものでしょう。
ただ海抜より低い土地になればなるほど酸素濃度が濃くなるらしく、言われてみれば呼吸が楽だという感覚はありました。ちょうどマスクを外したときのようなものでしょうか。
最近、朝夕がしのぎやすくなってきたアンマンに比べると、まだ死海周辺は夏の気候でした。
死海は塩分濃度が高いため、その名の通り生物が全く生息していないと言われています。一般的な海水の塩分濃度が3%ぐらいのところ、死海は30%だそうです。
それだけ塩分が高いので、皮膚に少しでも傷があろうものなら、その傷口にガシガシと塩をなすりつけるのと同じようなもので飛び上がるほど痛いです。
私は顔にかかった水を拭おうとうっかり顔をこすってしまったのですが、目を開けられなくなるほど目に猛烈な痛みと、口元についた水から強烈な塩分を感じました。思わず普段おにぎりを作ってくれている妻に
「当分おにぎりに塩つけないでええわ」
と言ってしまいました。
その高い塩分濃度が人を楽に浮遊させ、死海では人が決して沈むことがないとのことで「どれどれ」と水に入ってみました。
最初は平泳ぎのような体勢になろうと水面に対し「うつ伏せ」で水に入ったのですが、浮力がすごくて足とお尻が浮きすぎてしまい、うまく平泳ぎの体勢になれません。
プールや普通の海で平泳ぎで泳ぐとき、顔だけ水面から出しても足とお尻は水中にあります。しかし死海では浮力が大きすぎて足とお尻が水中に沈んでくれません。
顔を水中につければ姿勢は楽になるのですが、この塩分濃度の高い水に顔をつける気になれません。だからちょうど床の上で「うつ伏せ」になり、顔だけずっと持ちあげているのと同じ体勢になるのでしんどくなってくるのです。
逆に水の上に「あお向け」になるのはものすごく楽です。何もしなくても私の重たいお尻と足が、重力と真逆の方向に働く力を受けているのを感じます。手足を動かしたりしなくてもずっと水面に浮かんでいられるのです。
このように死海に入るのにちょっとしたワザが必要なこともありますが、私の妻も含め女性には人気が高いようです。
なぜならこの死海の塩はミネラルが豊富で、温泉と同じく身体や皮膚にいい効果があるからだそうです。
確かに、死海の水はトロトロです。
「あんかけそば」の「あん」のようにトロトロ、とまではいいませんが、私のような50過ぎの皮膚が、みるみるうちに10代の頃のようなツルツルの肌になります(死海にいる間のみ)。
浜辺は石ころだらけなのですが、その石も死海の「美容効果」でヌルヌルとしており、水に入るときはソロリと行かなければ足を滑らせてしまいます。
私と妻が水に入ってくつろいでいたとき、近くにヨーロッパ系の老夫婦がいらっしゃったのですが、
「水に浮かびながら新聞を読む」
ところを写真に撮りたかったのでしょう、ご主人が新聞をもって水に入ってきました。
ところが水に浮かぶ前に石で足を滑らせてしまって新聞がグシャグシャになっていました。
ご主人が
「おー、まい、がー!(Oh, my God!)」
と叫ぶところまですぐ目の前で目撃してしまったのですが、
こういうとき、笑っていいのか、反対を向いて笑いを耐え忍ぶのがいいのか、見なかったフリをするのがいいのか、同情の意を示すのがいいのか一瞬悩みましたが、
カメラを抱えていた奥さんの方が爆笑していましたので、こちらもつられて笑ってしまいました。照れ臭そうに笑う初老のおじいさんもかわいかったです。
死海では海底の泥もミネラルが豊富で美容によいとされています。あのクレオパトラが死海周辺に別荘を持ち、自身の美貌を保つためにせっせと顔や身体に死海の泥を塗りまくっていたとか。
ヨルダンの死海周辺のリゾートでは浜辺に大きな壺が置いてあり、そこに死海の泥がしこたま入っていて好きなだけ泥をとることができます。この死海の泥はネットショッピングなどで買うと高いらしいです。
ちょっと手ですくって触ってみましたが、それだけで手がピリピリしてくるのです。私はやりませんでしたが、妻も多くの人達にまじって泥パックしていました。
そのように死海で浮かんだり、泥遊びをしながら妻とひさびさに休暇らしい休暇を楽しみました。
思えばこうして妻と二人だけでお出かけをし、最後に二人だけでゆっくり過ごしたのは長男が生まれる前でした。時間が過ぎるのは早いもので、もう15年近くも二人だけでゆっくりしたことがなかったんだなあと。
こういうのは日本人的ということなのでしょうか。海外の映画を見ているとベビーシッターさんに来てもらって子供を預け、普段から両親だけで食事やパーティーに出かけるシーンをよく見ます。
普段も妻と二人で話す時間もありますが、ほとんどが「今日のできごと」や日々の用事のことが多く、
「明日、仕事帰りにお肉屋さんでハム買ってきて」
とか
「週末の長男の試合、何時からだっけ?」
といった話ばかりです。
だからこうして二人だけで他愛もない話をしたり、ポツポツと思い出話をしたり、どうでもいいけどなぜか深堀りしてしまう話をするのは本当に久々でした。
例えば、
レアチーズケーキの土台のビスケットが有しているとされる存在意義は何か?
(私はビスケットを残す派)
なぜスターバックスのカップの蓋の飲み口は、私の小指の爪ぐらいの大きさしかないのか?
(小さすぎてヤケドするので私は蓋を外して飲む派)
について論じ合ったかと思いきや、
「前世でも私達は一緒だった」
というスピリチュアルな(?)話をしたり。
3日間、朝はゆっくり起きてホテルでブランチをし、そのあとは死海を眺めながら夕方までぼぉーっとしたり、本を読んでウトウトしたり、ちょっと死海で浮かんで泥をさわったり。
夜は一日だけレストランにご飯を食べに行きましたが、あとはルームサービスで適当に食事を頼んで済ませ、自宅から持ってきたDVDで映画を見、その中身や関係するアレコレについて夜遅くまで妻とお話をして過ごしました。
長男を交えて彼の「恋バナ」などに耳を傾けるのも楽しいですが、妻とふたりっきりで向き合って時間を過ごすこともやはり大事ですね。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。