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映画ワンダーランド1『困惑と思考の旅』
映画『ワンダーランド』
大好きなパクボゴムさんが入隊前に演じて
4年の時間を経て公開になった待ちに待った映画…
完全にネタバレします💦
また、あくまでも個人の感想ですので、
ご容赦難しい場合は、読まずに閉じていただけますと幸いです🙏
亡くなった人をAIで再現し、端末を通したテレビ電話で交流できる。
そんなワンダーランドサービスを利用する複数の人々のストーリーが
集まってできている映画です。
テジュ(ボゴミ)とジョンイン(スジちゃん)は
その中の恋人同士のふたり。
![](https://assets.st-note.com/img/1722785008127-TsNYbbwDoG.jpg?width=1200)
事故に遭ったテジュは
意識不明のまま病院で眠り続けています。
目覚める可能性の少ないテジュに
どんよりと寄り添いながら
ジョンインはワンダーランドサービスを申請し、
その中にいるAIテジュを頼りに生きています。
AIテジュはずっと明るくて…
ジョンインのわがままや八つ当たりにも、
あらゆる手立てで
ジョンインに笑顔をくれる
理想の姿をしています。
どうしても宇宙から戻れない
温もりだけは与えられない
だけど心の最高のパートナー…
中毒性も頷けるほどの
パーフェクトテジュ。
![](https://assets.st-note.com/img/1722782436118-t8tRX6IPUh.jpg?width=1200)
でも、奇跡的に目覚めた現実テジュは…
ベッドの上で目が合った時から、もはや
過去のテジュとは別人でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1722785121481-XKuw8fL9S1.jpg?width=1200)
それでも、病院でのテジュとジョンインは
ボゴミとスジちゃんが演じながら
二人の設定として様々に話し合った通り、
お互いにお互いしかいない
唯一無二の存在であることが伝わります…
ともに、両親がいない人物、という設定をしました。
お互いに家族であり、頼るしかなかったし、
愛しながら尊重するしかなかっただろう、と
(ボゴミインタビュー)
![](https://assets.st-note.com/img/1723393903233-mkTfdqQmub.jpg?width=1200)
ところが
自宅に戻ってから、さらに浮き上がる、
過去テジュと現実テジュとの相違。
ジョンインの苛立ちは募り
現実テジュは困惑するばかり
ここでどうしても
疑問を感じてしまうことがあります。
『どうしてそんなにも
ジョンインは苛立つの・・・泣』
初回の感想の最も多くを占めたのが
この気持ちでした。
頼れるのはお互いだけなはずの
唯一無二のテジュとジョンイン。
ジョンインも風邪をひいて辛かったけど
テジュも脳の障害を引きずっていて
言えば重度の病人で…
もし自分の唯一無二の恋人が
意識不明の病床から生還したら?
切実に解消を願うはずのすれ違いに対し、
苛立ちと逃避ばかりに見えてしまうジョンインに
初回は違和感ばかりを抱いてしまったのでした。
![](https://assets.st-note.com/img/1722780803248-EkG7lz1wek.jpg)
いやいや・・・
それでもジョンインにもう少し寄り添おう、と
二度目の視聴時はその点に注力したら、
少しは歩み寄れた気がします。
お友達からもこのように聞きました。
「病気の人を看病していると、疲れてきて
看病している側も病気になってしまうんだよ」
と…
過去テジュ、AIテジュ、現実テジュ
3人のテジュの間で
ジョンインの混乱はいかほどか…
それが悲しみではなく苛立ちになる、
ジョンインという女性…
ずっと頼ってきたAIテジュに対しても
現実テジュの生還後は
用が済めば遠慮なく電話を切るなど
あるところでとても機械的に対応します。
“ジョンインの場合、実際にテジュが戻った後、
AIテジュから電話がかかってくると、
悩まずに電話を切って、サービスを終了させる内容があります。
さっきまでAIテジュとやり取りをして慰められていたのに
実際の人が帰ってくると、機械のように接してしまう。
その当時、ジョンインの心に
たくさん共感できたようです。”
温もりのある実際の人に
あっさりとAIは退けられてしまうのか…
ところが
サービスを終了しても
ジョンインの落胆は続き苛立ちはつのり…
結局は、
最愛は過去テジュであり
そこから動けないでいる
ということを
突きつけられる
ジョンインと現実テジュと私たち。
そしてジョンインを
過去テジュにいつまでも引き戻しているのが
AIテジュ、ワンダーランドサービスだったと思うのでした。
本編では描かれていなかったけれど
プロモーションで話されたように
ワンダーランドサービスが
基本的には1年契約で、年更新など、
長期利用は想定されていないようなサービスの設定にも頷けます。
そうでないと多くの人を
病ませてしまう側面がありそうですね。。
AIサービスが、向き合うべきものから
目を背けさせる。
それがメリットでありデメリットである。
つらい気持ちを抱えた人を
ひととき、AIサービスが救うことがあっても
いつかは現実と向き合わなくてはいけない。
現実テジュの人が変わった様子を知ったとき
乗り越えるべき過去テジュとの別れを、
AIテジュの存在が難しくさせてしまった。
そんなように思います。
スジちゃんが、
ワンダーランドサービスを利用したジョンインを擁護します。
利己的で、人間的ではない選択だが、
人が常に良い選択だけをして生きるわけではないからです。
かけがえのない人を
失いそうなのに
気持ちが心にいっぱい溢れていそうなのに
何か言葉足らずに見えるジョンインについて
私もヤキモキします。
スジちゃんの話す、一番難しかったシーン。
テジュが見知らぬ人々を家に入れて
パーティーをしている場面。
![](https://assets.st-note.com/img/1723394244160-jgOC71xjMu.jpg?width=1200)
何を考えているか全く分からない現実テジュ
“ジョンインが薬を飲んで寝て、
目覚めた後の場面。
その場面を撮影しながら
これがどんな状況なのか
監督に「これが話になりますか?」と聞きました。
演技をしながら異質感を感じるという考えを
たくさんしました。
テジュが別人になったような気がしました。
そのような点を考えながら演技しました。
状況そのものから、こんな場面が多く
「これって有り得ますか?」という気持ちで
演技しました。”
“セリフで妙なところがあります。
セリフがいくつか抜けている気がしました。
殆どの映画やドラマは
セリフがよく組まれているため
俳優同士の「ティキタカ(息の合うこと)」が、よくあります。
ジョンインとテジュの会話はそうではありません。
脈略から出てくるセリフではありません。
それが印象的でした。
混乱し、亀裂が感じられ、
葛藤が起きる状況の中、1人で大変だったので、
そのようが言葉が出たと思います。
やはりセリフの間を
演技でみっしりと埋めないと
解釈の難しい脚本であったのだな、と
思うのでした。
最後にもう一場面…
現実テジュが、バルセロナに一緒に行く、と
ジョンインが乗務しようとする搭乗口までやってきます。
追い込まれたジョンインが
AIテジュを、現実テジュに見せるシーン
![](https://assets.st-note.com/img/1723394456129-Pg7vVJE841.jpg?width=1200)
一応は見せないように隠してきたワンダーランドサービス
AIテジュを見せるとき
何故あんなにも強い目で
怯まず、
まるで責めるように
現実テジュを見据えるのかな…
それがジョンインという女性の
パーソナリティなのだとしたら
一体テジュが愛してきたジョンインは
どんな女性だったの?と
切ない疑問が頭をよぎってしまったのでした。
俳優が、視聴者が
脚本の間を想像で埋めながら見る作品、
そんなふうに思います…
よって、
細やかな演技が生きた作品だと思いました。
キムテヨン監督のインタビューを最後に一つだけ。
この映画は特定の人物を中心に積み上げていく叙事ではなく
状況と感情が破片的に羅列されており、
彼らを総合してムードがあらわれる方式なので
これを観客がよく受け入れてくれるだろうかと思った。
最初はAI技術についてたくさん勉強し
それをシナリオに溶かそうと努力した。
ところがある瞬間からそれが問題ではないという考えになった。
誰かがゲームをするとき、
もちろんモニター画面でも面白いことがたくさん起こるでしょう。
でも私は、モニターよりゲームをするプレイヤーに、視線をもっていきたかった。
技術を利用する人々の心がどのように動くか
認められなかった部分を
どのように、突然、
なぜ受け入れるようになるのか
また、なぜその逆のことが起きたのか
その過程を探求して盛り込んでみたかった。
サービス中毒を克服するキャラクター、
そして自分の家族に役に立てるなら、
仮想世界の永遠の存在になることを拒否しないキャラクターを思った。
これがジョンインとバイリーのお母さんが
これに該当する。
AIへの信仰と疑いが
衝突して生じるシナジー効果がこの映画の核心である。
私たちは知るために信じるのか
信じるために知っているのか。
世の中がとても気になって信じ始めて
そうしたら見えた、という脈絡の言葉だった。
実際答えを得ていないようです。
ただ、このテーマで映画をもう少し撮ってみたい。今回はあまりにも難しく接近したので、今度はちょっと楽に撮ってみたい(笑)
監督自身も、オムニバスのような
断片的な構成に不安をもっていらしたということ
そして監督自身も特に答えを得ておらず
さらに探求したい気持ちでいらっしゃること
答えのない映画、考え続ける映画
そんな様相です。
だけれども個人的には
そっと
ネガティブな印象をAIに持つことになった
そんな映画でした。
次稿に続きます。
お読みいただき、ありがとうございます。