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対等でいること|『レインツリーの国』
有川浩
新潮社 (2009年6月27日発売)
優しさとは何だろうか。
これまでわたしは、優しさとは強さ、そう思っていた。その考えをここで否定しようとは思わない。ただ、優しさとは強さだけじゃない。すべての人と、対等でいること。それも優しさの一つなのではないか。そう考えるようになった。
ひとみに向き合う伸行の姿勢に、自分を投影する。
わたしだったら、こんな風に真正面からぶつかることができるだろうか。できないだろう。身体に障害のある相手に対して「自分だけが辛いみたいな顔すんなや」なんて、言えるだろうか。言えないだろう。わたしだって同じ人間、わたしだって生きるのが辛いことだってある、なんて口が裂けても言えないだろう。
主人公、伸行のまっすぐで、あまりに純粋すぎるその心は、危険を孕んでいるように見えた。伝わるか、伝わらないか。紙一重だった。
「身体に不自由があるから…」この一文に何かが続くのは間違っているのだろう。そもそも「…から」と、身体の不自由が何かの理由になることは決してあってはならないのだろう。
それでも、そういった人と関わったことのないわたしは、あくまで遠くから見ているだけの存在に過ぎない。「そういった人」と、無意識的に自分と区別してしまっているわたしは、圧倒的に勉強不足の人間だ。
頭でただ理解しただけのわたしは、きっと、伝わらないだろう。