馬が合わない
馬が合わない人がいる。
誰しもがそんな存在と出会ったことがあるだろう。
そんな人との間には、初めてメッセージを受け取ったその瞬間から、その話し声を聞いた瞬間から、なんとも言えないいや〜な予感が漂う。
これまでのわたしはそんな時、あぁ合わないな〜合わないな〜と思い続ける一方で、そこから何も行動に起こしはしなかった。
そんなこともあるし、別にそのままやり過ごすのでもいいのかもしれない。だけどなんとなく、克服できたほうがいいような気がする。
例えば、誰かを嫌いになることは人間関係を狭めることつながるのではないか。例えば、日常生活や仕事に制約が加わり、「苦手意識」や「弱み」のようなものを抱えることになってしまうのではないか。
もしも多少の努力で克服できるのであれば、それはチャレンジする価値があるのかもしれない。
人が人に苦手意識を持つメカニズムはこうだ。
ある瞬間に得た印象によって、それ以上その相手に近づきたくない、接触したくない、或いは攻撃したいという心理が生じる。そしてその心理が「嫌い」という感情として定着してしまい、苦手意識というものが引っ付いて離れなくなるのだ。
つまり、現時点以上に不快にならないように、あらかじめ行動を制約しようという心理が「嫌い」のベースにはあり、自分がこれ以上不快に感じたり傷ついたりしないように、心を守る働きであることがわかる。
これ以上不快な思いや傷つくことがないように、自分を守るためにある感情。その感情を察知した時に、「馬が合わない」と感じるのだろう。
じゃあ、これを克服するには?
おそらく、その相手と関わってみても不快な思いや傷つくようなことが起こらなければいいのだ。そしてその経験を積み重ねれば、いつしか馬が合わないという感情や苦手意識は消え去るのではないだろうか。
そのためにわたしができそうなこと。
① 優しくしてもらうこと。
例えば、何かをお願いしたり教えてもらったりする。きっと大体の相手はその期待に応えようと熱心に向き合ってくれるだろう。ここでうまくいけば、相手は自分を攻撃するような人じゃない=傷つくことはないと確認することができる。
これは克服への道の第一歩だ。
② あるいは、共通の話で盛り上がること。
共通の趣味や友人、地元の話、なんでもいい。自分から話しかけ、何かについて語り、笑い合い、楽しい時間を過ごす。ここでうまくいけば、その相手といても不快な気持ちになんてならない、と気づくことができる。
仲間なんだ、自分と似ているんだと知ることは、苦手意識を払拭するきっかけになり得るだろう。
以降は会うたび会うたびに何かを教えてもらったり、共通の話題で会話をするように心がけたりしていけば良いのではないだろうか。
それでも無理だった場合?
現時点以上に不快に感じたり、傷ついたりしないように、心を守ろう。心の赴くままにあらかじめ行動を制約し、心地の良い世界で生きよう。
別にそれだっていいんだ。
「サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。」
馬が合わない誰かは、必ずこの世のどこかにいる。たとえ自分の人間関係を制限しようとも、弱みを作り出そうとも、自分を守るために直感に従う、その判断も必要だと思う。