ゆん

社会人1年目です🌼 生きてきた中で感じた疑問の答え、これ以上ない答えに出会いました。 その探求記録に切り替えます。探求者です、最後まで辿り着いておりません。

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社会人1年目です🌼 生きてきた中で感じた疑問の答え、これ以上ない答えに出会いました。 その探求記録に切り替えます。探求者です、最後まで辿り着いておりません。

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真我の探求について、記録を残します_φ(・_・

    • 人間社会の構造

      先週課長が言ったことで、ハッとした出来事がある。 製造業をやっていると、必ず、作る製品を企画・調整・研究開発する側と、ひたすら工場で生産する側に分かれる。生産する人たちは社員ではなく、派遣会社の社員ばかりで、もちろん夜勤もある。 結局物を売って利益を出しているのだから、生産する人がいなければ、社員はお金を得ることができないのである。 もし社員で生産までするとなったら、かなり時給は下がるだろう。 となれば、私たちは、そういった派遣の人たちのお蔭で生活できているのだ。

      • 人生で初めて!!呼吸法を習いに行ってみた😳

        • 親ガチャ、人生全体のこと

          親ガチャたるもの、成功したか?と問われれば「成功していない」と思う。でも、窮屈な思いをしながらも、小学〜大学まで真っ当に進んで来れた。だから、低めに評価しても失敗ではなかったと振り返る。 しかし、なぜ生まれた時点で両親という格差ができるのだろう。富んでいれば気にならないが、貧しければ抵抗しようがない現実を恨むだろう。私も5〜6年前は、高校生ながらに思い悩んだことだ。 このような言葉が生まれたということは、何かしら日本社会での窮屈さや、将来性の無さ、生きる目的が見出せない人

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        真我の探求について、記録を残します_φ(・_・

          数字と言語

          ビジネスでは、数字が必ず使われる。 複雑な物事を数字化することで、とてもシンプルに、そして相関関係など連動する変数や法則も見えるメリットがある。 しかし、売り上げや不良率など数字だけを追い求めていくと、人間同士の軋轢が発生する。 つまり、数字には限界があり、完璧なものではない(という前提が必要)。 というのは、物事のデータから考察できることとはある程度正確だろうが、それと生身の人間との関係性を作ることは上手くいかないことがある。 さらに、自分の主張を言葉を使って行う私

          数字と言語

          仕事ができるか?だけで判断できない

          会社の中にいると、「○○さんポンコツだから…」「あの人、同じ課の中でも嫌われてるんだって」という噂をたまに聞く。 一緒にお仕事している人が、「あの子、すぐ指示忘れちゃうから」「物事を覚えていられないんでしょうね」と言われていた。 しかし、そんな人が実はプロサッカーを目指していた過去をもっていたそうだ。 これは、なかなか真似できるもんじゃない。 仕事という切り口で見ていると、ポンコツで動作が遅くて、イライラする存在かもしれない。でも、そんなところだけで人格を判断できない

          仕事ができるか?だけで判断できない

          瞑想、集中できなーい🥲

          瞑想、集中できなーい🥲

          冷静に考えれば当たり前だとわかるけど、心から納得すべきこと

           言葉とは、自分と相手が意見を交わすためのツールである。しかし、言葉は概念であり、その概念は個々のマインドが作っている。それは、各々が生きてきた過去の経験によって出来上がったものだ。つまり、言葉を使うコミュニケーションは、ある一定までは可能だが、100%相手や自分の真意は伝わらない。意図していない相手の言葉に傷つくとき、それは自分自身の中にある印象・概念が自身を苦しめているのだ。過去の中にある記憶が蘇っているだけなのだ。  失敗とは、原因がわからないことがある。(というより

          冷静に考えれば当たり前だとわかるけど、心から納得すべきこと

          多分、歩く瞑想は合ってない

          多分、歩く瞑想は合ってない

          座禅 3日目

          やろう!っていう気持ちがないと中々集中できない。 しかも、やり方が合ってるかわからない。 今日は、想念が振動のような感覚があった。 脳のあたりがボワンボワンと揺れる感じ。 (途中から消えてしまった) そして、大抵想念として出てくるのは、その日の出来事や記憶ばかり。←果たして正しいものかはわからない、多分自我によって捏造されている 巻き込まれることも多いが、「あ、今浮かんだ!」と眺める自分もいる。 じーっと見ていると、想念は消えていく。 そして新たにまた浮かんでく

          座禅 3日目

          人生において大切なことは、論理的であることではなくて、感覚を研ぎ澄ますことかもしれない。 意外と論理脳の方が騙されやすい・騙しやすい気がする。

          人生において大切なことは、論理的であることではなくて、感覚を研ぎ澄ますことかもしれない。 意外と論理脳の方が騙されやすい・騙しやすい気がする。

          座禅 2日目

          20分ほど座って目を閉じて胡座をかいてみた。 どこからともなくポコポコと湧き上がる想念に巻き込まれていく私 何事もなかったように体を生かすための呼吸をさせ、想念を観察する私 確実に二つ存在した、うっすらとしか感じなかったが。 恐らく後者が真我なのではないか? 想念は現れては消え、現れては消える。 しかし、観察する私は消えない。

          座禅 2日目

          歩く瞑想1日目

          某団体が公式に発信しているヴィパッサナー瞑想を始めてみた。 もうこれ以上、本や知識だけに頼らず、自らの体験が必要だと思ったからだ。 無明が過ぎるのか、効果はイマイチよくわからない。 しかし、うっすらと気づきは幾つかあった。 ①体と心は別物である →足は前へと永遠に踏み出しているが、心では別のことを考えている。想念が湧き出ている。 ⇒つまり、体と心は伴っていない ②実況に夢中になると、それしか考えられなくなる。何か一つに集中している状態。 →ヴィパッサナーで集中力が養

          歩く瞑想1日目

          強張る体

          強張る体

          強張る体

          心の内側に籠ると決める

          何か想念が浮かんだとき、どうしてもそれに振り回される私がいる。 つまり、外側の対象物を見ている。 今日は、「自分の内側に留まる」と決めてできるだけ意識した。 一瞬だけ、不思議な感覚になった。 それは、全ての出来事が自分の内側で起こっている感覚。 周りはただ動いているだけ。ただ見えるだけ。 心の浮き沈みは、自分の中でしか起きていない。

          心の内側に籠ると決める

          朝が良い

          一日の始まり。 綺麗な空気で溢れていて、心も比較的落ち着いている。 とても貴重な時間。

          朝が良い