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 遠方から訪ねてきた友人が「生の相撲が見たい」と言い出すので、急遽、我々は両国へと向かった。

 *

 何とかチケットを手に入れ、軽食と飲み物を買い、二十六階のマス席に辿り着く。結びの一番の、そのひとつ前の取り組みが終わったところだ。我々の席から遥か下のほうに小さな土俵があり、黒い点のような力士の頭が見える。我々は視覚デバイスの倍率を調整する。力士の、大きな尻が一瞬ドアップになるので「ヌッ」と一声あげ、私はもう少し引きの視野になるよう再調整する。
 と、視覚デバイスに、アプリのインストール確認が表示される。その作成者が相撲協会であることを認め、インストール開始。一瞬視野が暗くなり、再び光が戻ると、今見ているものの上に、AR映像がリアルタイムでマッピングされる。
 俄かに場内が盛り上がる。いよいよ結びの一番のようだ。両力士が土俵にあがる。その力士の頭上に、棒グラフのようなものが表示される。項目を読むとなるほど、パワー・スピード・スタミナ・アビリティ……といったものを現わしているらしい。隣で友人が「なんだか、格闘ゲームみたいだな」と呟く。
 両力士はまず二字口で互いに向き合い、目礼。その後、めいめい赤房と白房のところへ行き、花道に向かって柏手を打つ。打った瞬間に合わせ、何か、真っ白い光のようなものがフワッと広がり、凄まじい爆音がマス席の下に埋め込まれたスピーカー、それから場内を飛び回るドローン・スピーカーから放射される。私はびっくりして買ってきた弁当をひっくり返してしまう。友人はと言えば太腿と座布団が、やはりひっくり返したちゃんこでずぶずぶになっている。思わず互いに目を見合わせる。爆発音は、力士の一挙手一投足に合わせ鳴り響く。その都度弁当やちゃんこを片付ける我々は身体をびくりと震わせ固まる。
「東ぃ~、雄神【ゆうじーん】~」「西ぃ~、魏羅破【ぎらふぁ】~」行司が四股名を声高に叫ぶ。土俵上の中空に、「雄神VS魏羅破」と、グラデーションやらベベルやらのかかった恐ろしくデカい文字が現れる。文字が出る時にも謎の爆発音がする。歓声が上がっているようなのだが、それが生の音なのか、周囲のスピーカーから流れる効果音なのか判別がしづらい。
 雄神と魏羅破がそれぞれ力水をつけ、力紙で口元を拭う。再び二字口で互いに向かい合うと、蹲踞の姿勢を取り、柏手をパンッ。謎の発光のあとに、爆音。手水を切ると、何等かが浄化されるようなエフェクトがかかる。私の疑問を察したのか、視野内の右端に「塵手水とは……」といった解説文が短く表示される。
 天井付近から一番下の土俵めがけて、真っ白い光の幕が次々と降りる。次の瞬間にはその幕の一つ一つに、色鮮やかな絵柄と文字、そして企業ロゴが現れ、観客たちの注意を引くべく、目まぐるしく踊る。清酒、お菓子、建設業、それに、浣腸のロゴ。そのあと四、五本連続で見慣れたお茶漬けのロゴ。それらは土俵をぐるり回るとぱっと霧散する。
 土俵中央では、雄神と魏羅破が向かい合って四股を踏み、踏んだところから地面がひび割れて砕けるような視覚効果。衝撃が空気を伝わる様なエフェクトが我々の席まで届くと、再びケツが座布団から浮き上がる様な大音量。友人が「ごふっ」と鼻からお茶をこぼす。俵の内部を光が回転し、鮮やかな虹の七色に変化する。どうやら、力士の四股に合わせて、光が変化しているようだ。
 それが終わると、力士らは互いに腰を割り、手を下ろし、ぐぐっと一段と低い体勢を取る。雄神と魏羅破の視線がかち合い、その丁度中央で火花のようなエフェクトが現れる。周囲を飛び交うドローン・スピーカーから「チリチリ……」と効果音。再び力士らが立ち上がり、赤房・白房の下まで戻る。塩をむんずと掴み、ぶわっ。中空に舞う塩に、きらきらとした光のパーティクル。何故か天井からも同様のパーティクル効果が降ってきて、場内が何やら神聖な雰囲気に包まれる。周囲を見やると若い女性客やカップルが、そのパーティクルをバックにして記念撮影をしている。なるほど映えというやつかと得心する。
 再び土俵中央、仕切り線を前に両力士が向かい合う。と、立ち上がるや、雄神が勢いくるりと回り、振り上げた左手で自身の腹をパァンッ! と叩き、勢いよく赤房下へ戻る。叩いた瞬間、赤い炎が雄神の身体から噴き上がる。一方、魏羅破は悠然と白房下へ戻り、タオルを受け取り、顔そして身体の汗を入念に拭く。その両肩から、メラメラとした青白い炎のエフェクト。俵をぐるぐる巡る光は徐々に速くなる。それが極限を迎えたところで、俵から「ボオォッ」と光輪が放たれる。光輪は回転しつつ、土俵から天井までを高速で駆け上がる。場内から割れんばかりの歓声。
 雄神・魏羅破が仕切り線の前で向かい合い、蹲踞の姿勢。それから腰を割る。スピーカーから、重低音をベースにしたパーカッショナルな劇伴が流れ出す。続いて重厚なストリングス。そこに独特な節回しのコーラス隊が絡む。やがて劇伴がゆっくりとフェードアウトし、今度は「ハァ、ハァ」とか、「ドクン・ドクン」といった、呼吸・心拍の音だけが鳴り響く。これは両力士の、実際のそれなのだろうか。
「手をついて!」という行司の掛け声。視界が強制的にジャックされ、雄神、魏羅破、行司の、めいめいの表情がカットインされる。魏羅破が先に両手をつく。雄神が間合いを見計らい、左の拳をトンッ──立ち合いが始まる。
 雄神の猛烈な張り手・張り手・張り手! 張り手のたびに岩でも砕けた様な打撃音! 光るエフェクトが場内を揺らす! 手に持った私の弁当から焼き鮭が吹き飛び、二つ前の席のご婦人のカバンの中へ! 隣を見れば友人の持つペットボトルからバシャバシャとお茶が零れる! 魏羅破、押される! しかし果敢に廻しを狙う! 掴めない、手が空を切る! 魏羅破の頭上に表示されたHPバーがみるみる減っていく! 雄神、更に押す! アッ、魏羅破が雄神の廻しに手をかける! そこに集中線のようなエフェクト! 雄神もまた廻しを掴む! 「両者、がっぷり四つ!」デカデカとドぎつい文字が土俵中空に出、テカテカ光る。
 土俵のほぼ中央まで戻った二人の力士が、ぴたりと静止する。時折、雄神が仕掛けるような動きを見せ、機を伺う。魏羅破は雄神の右肩あたりに顔をくっつけたまま、微動だにしない。二人のスタミナゲージがジリジリ減っていく。張り手を見舞った分、雄神の減りがやや早いか。両者の腕やら、腰やら、背中やらが赤く点滅している。疲労が蓄積しているということだろう。「魏羅破の膝……」と友人が呟く。見れば確かに、テーピングで固められた魏羅破の右膝が、激しく点滅を繰り返している。
「分かってんだぜ、アンタもう限界なんだろう? その膝……」
 妙に色っぽい男の声がスピーカーから響く。今のは雄神の、心の声なのだろうか? 少し離れた席から「これ、声優の小野賢章じゃね?」という声がする。なるほど言われてみれば確かに聞いたことのある声だ。
「馬鹿言うんじゃねぇよ小童……テメェこそ、もうガタガタだろうに……」
 今度は、先ほどよりも低く、渋い声が響く。ああ、これなら私にも分かる、あれだ、アナゴさんの声の……。
 二人の声優による掛け合いが、がっぷり四つのあいだ暫く続く。私は散逸し残り少なくなった弁当を口に運ぶ。視線を土俵へ戻すと、今度は二人の頭上に巨大な龍と虎とが現れ、激しく揉み合っている。私は試しに視覚デバイスの、インストールされたアプリをオフにする。遥か下の土俵で、豆粒のような点が二つほど見える。この状態で倍率を調整しようとしたが、先にインストールした相撲協会のアプリで制御されている、とのアラート画面が出る。大人しく、アプリの視界に戻る。
 行司が「はっけよい、はっけよい!」と促す。雄神が仕掛ける。両腕で力いっぱい魏羅破の廻しを引き上げ、そのまま土俵際に追い込む。観客たちが息を呑む。何処からともなく、オーケストラ編成の物々しい劇伴が再び立ち上がる。パーカッションのたびに座席が揺れる。思わず、少しばかり尿を洩らしてしまう。
 魏羅破が体を捻るように動く。右腕一本で雄神の巨体を捉え、投げるような動作に入る。雄神も耐える。がそのまま、両者が土俵下へ、転がり込むように落ちていく。そのさまが非常にゆっくりとしたスローモーション映像に切り替わる。先ほど土俵上の空中に表れた巨大な龍の首元に、虎がかぶりつく。一方の龍も虎の全身に巻きついて離れない。土俵から足が離れ、中空に浮かぶ両の力士と、巨大な龍虎の映像とが慌ただしく切り替わる。最早何が何やら。
 視野上ではたっぷり一分かけ、雄神と魏羅破が土俵下に落ちる。行司がパッと手を上げ、雄神の勝利を告げる。場内のあらゆるスピーカーから割れんばかりの歓声が響き渡るので、私たち観客も釣られて拍手喝采を送る。雄神を表していた龍が土俵から天井めがけて飛翔する。すると、周囲の人間が一斉に立ち上がり、何かを投げる仕草をする。なるほど、ARの座布団だ。とりあえず、私たちも座布団を掴む仕草をすると、それに反応し視野内に精巧な座布団のAR映像が出現する。私たちの動きに合わせ、その座布団が中空を舞い、その四隅から色鮮やかな火花を散らしつつ、くるくる回転し土俵まで落ちていく。それを地上30階までの全ての座席から行われる訳だから、これはなかなか壮観だった。座布団の雨あられを縫うように龍が踊り狂う。勝ち名乗りを受ける雄神。魏羅破は一人花道を帰っていく。

 *

 両国からの帰り際に、友人がぽつりと漏らす。
「何か……思ってたのと違ったかな……」
 私は黙って頷く。

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