あかり

本が好き

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最近の記事

どう森で救われました

恋人にどう森を買ってもらった。中学生のころ、めちゃくちゃやりこんだゲームだ。 よく、ゲームはためにならないと言われるけれど私はちがうと思う。 恋人に買ってもらったとき、わたしは軽くメンタルを病んでいた。精神科で抗不安薬をもらっていた。 会社の先輩が忙しくてイライラしているのは能力のないわたしのせい。ランチタイムに会話が生まれないのもわたしのせい。業績があがらないのもわたしのせい。恋人が給料にとらわれて悩んでいるのもわたしのせい。なんなら恋人の体調が悪いのもわたしのせい。

    • 星野源のエッセイおもしろい!

      星野源さんの「いのちの車窓から」をよみました。 ミュージシャンとしての星野源しか知らなかったので、この人こんなに面白いエッセイを書くんだ! という驚きと、星野さんのフィルターを通して見る世界はあたたかいな、ということを感じました。 星野源のエッセイはなんで面白い?? 星野さんの文章が面白いなと感じる点は、別々のエピソードを話しているように見えて、その2つを絶妙にリンクさせている点にあります。単体で読んでも面白いし、通して読むとなんとなく学び、気付きがあると感じます。 た

      • 一杯のコーヒーをのむ時間を

        池波正太郎さんの「ル・パスタン」という本にこんなことが書いてあった。 人は、独りでコーヒー店に行き、一杯のコーヒーをのむ時間を一日のうちにもたねばならない。どうでもいいようなことだけどね ちょうど最近、独りの時間が減っているなと思っていたところだった。 独りの時間をとらないと、自分が何を考えているのかどんどんわからなくなってしまうのだ。しまいには、「自分は何も考えていないんだ」と烙印を押してしまう。そうすると、考えること自体をやめてしまうのだ。 この負の連鎖を断ち切ろ

        • 仕事が行き詰まりすぎてやばいのでマインドマップをやってみた

          タイトルの通りです。仕事が全然できない。周囲の足を引っ張っている。それなのに、自分のどこに課題があるかもわからない。そんな地獄みたいな状態が続いていた毎日。 このままでは本当に仕事がなくなる!やばい! と思い、マインドマップをやってみた。結構よかったので、いいところ、気づいたことをまとめてみようと思います。だれかの参考になれば幸いです。 マインドマップのいいところ・自分を責めて終わりにせずに、きちんと解決策までを考えることができる ・自分の精神状態を客観視できる 自分の思

        どう森で救われました

          学びから価値を生み出す

          入社して2年目が終わる。アルバイトの2年目といったら、そろそろ慣れてきて、後輩の面倒なんか頼まれたりしている時だけれど、相変わらず私は会社のお荷物。これではやばい! と思い「入社3年目の心得」という本を手に取った。 これは数々の企業で教育研修を行っているプロの企業研修士が書いた本。入社して3年目がターニングポイントであり、偉大な功績が残せないどころか、失敗しないという失敗を犯して人生を終えるかはこの3年目にかかっていると語ります。 私は一番下っ端で一番若い立ち位置にいます

          学びから価値を生み出す

          文をかいて発散してなくしてく

          「もうすでに人生を間違えてるんだろうな」と投げやりな自分の言葉に全てがどうでもよくなりかけた。電車に乗っている人の視線が全部こちらに向いてるように見えて、出てきたばかりのビルから同僚が見張っているような気がしてきて、吐きそうになる。がんばれない自分はくそ。そう思うのにやる気のかけらも湧いてこなくてさらに消えたくなる。 苦しみのほとんどは恥なのかもしれないと思った。 心はしんどいのに体が丈夫なことがさらにまたしんどい。 もういやだと思って、本当に萎えたけどこの気持ちをメモし続け

          文をかいて発散してなくしてく

          だれかの苦しみを消費すること

          映画「ディア・エヴァン・ハンセン」をみにいきました。まだ観ていない人はネタバレあるのでご注意を〜! この映画は2015年に公演されたミュージカルを原作にしています。学校になじめず、鬱と戦う主人公の心の葛藤を描いた物語です。 学校へ向かう前、パソコンにむかって自分宛の手紙を書き、必死に自分を励ます主人公。何度もテキストを打ち込んでは嫌な記憶がフラッシュバックしている主人公の辛さが、痛いほど伝わってきました。この映画には主人公だけでなく、ほかの登場人物もさまざまな苦しみを抱えて

          だれかの苦しみを消費すること

          800年前の言葉に立ち止まる

          恋人に本をプレゼントしてもらった。その中の一冊、鴨長明の『方丈記』をよむ。漫画バージョンだ。 鎌倉時代に生まれた鴨長明が、たびたび襲いくる災難からなにを感じたのかを描いた、日本最古の災害文学、と表紙にはある。 津波や旋風、地震や飢饉、福原遷都。 鴨長明はその60年以上に及ぶ人生の中、さまざまな災厄と出会ってきた。 そんな中でも、新しい家を建て続ける人間、自分の地位を守り続ける貴族、飢えて死んでゆく人々に混じって、再び生まれる新しい命。そんな人々の営みに、著者は無情を感じる

          800年前の言葉に立ち止まる

          お風呂場で思ったこと

          仕事から帰って本を読む。自分の心の声を素直に受け止めることが大切とあったから、お風呂に入りながらノートに感情を書き出してみた。 文章は絵よりもバカにされやすそうで怖い。言葉を扱って言葉で否定されることが怖い。でも、今のわたしがそれで否定されたからと言って失うものはない。本当はなにが怖い? 努力できないこと。文章が自分に合っていないと思い知らされること。 怖い声が聞こえたときは、ゆっくり周りを観察してみる。わたしの目はカメラのレンズ。お風呂の蛇口のカビ、今にも落っこちそうな

          お風呂場で思ったこと

          ときめきの原点

          みなさんは、自分が人生で初めて感じた「ときめき」の原点を覚えていますか? 私がはじめてときめきを感じたものは、小さい頃おばあちゃんにプレゼントしてもらった瓶です。 中にはとろりとした透明の液体が入っていて、金銀青黄と、さまざまな色のラメがゆったりと夢らめいていました。中のキラキラに触れたくて、ずっと眺めていたのを思い出します。いつのまにかどこかにいってしまった大切な瓶。 そんな一生離れないときめきの原点を思い出させてくださったのが、asamiさんの「move」という個展で

          ときめきの原点

          未経験から編集者になって思ったこと

          未経験から編集の世界にはいって、はや1年が経とうとしています。「書く」ということへの疑問が、ちょっとずつ晴れてきているこの頃です。 そんな疑問のなんこかを書いてみたいと思います。 まずはじめに編集の世界に入って思ったのは、 「ああ! ぽいことをすればいいのね!」 という発見。ある冊子のタイトル付けをしている時に、自分がつくったタイトルがあまりにも面白くなさすぎて、上司に修正された時に、「ああこれって、よく雑誌でみる言い回しだな」と気づき、オリジナリティなんてみんな持っ

          未経験から編集者になって思ったこと

          「阿・吽」を読んで

          なんだか最近自分の心と向き合えていない気がする。何も前に進んでいないような気持ち悪さ、情けなさがぐるぐるしていてスッキリしない。そんな時はいつも日記を書いて心の中を整理していたのだけれど、社会人になってからはその日記を集中して書く時間もない。 そんな日々の苦痛から逃避しようと、おかざき真里さんの「阿・吽」を読んだ。空海と最澄をテーマに描かれたコミックである。 最澄の生まれた700年代の日本は、仏教が肥大化し僧が政治権力を持つ時代だった。そんな仏教社会に嫌気がさした最澄は、

          「阿・吽」を読んで

          なんでエッセイが好きなんだろう?

          エッセイってなんのために書くんだろう? なんのために読むんだろう。ふとそう思った。エッセイなんて、言ってしまえば読まなくても別に支障はきたさない。それなのに手にとって時間をかけて読んでしまうのはなぜなのか。 憧れの人の感性を知りたいから? 丁寧な日常の雰囲気を感じたいから? そうかもしれないし、全然違うかもしれない。そんな風に、自分のエッセイ好きに対して立ち止まって考えたのは、ある単純できれいな言葉の一節に出会ったからだ。 朝食は梨ひとつ。うすく刃をいれる。どこまで長く

          なんでエッセイが好きなんだろう?

          片隅は決して寂しい言葉じゃない

          お正月の初読書は『この世界の片隅に』。 まだ上手くまとめられていない(きっと何年かあとに読み返して、また新たな発見がある系の素敵な作品。)のだけど、記録しておきたいと思います。 私が今回原作を読んで感じたのは、これは戦争物語ではなく、あくまですずさんの日常を書いている作品なんだなということ。 すずさんの生きる76年前の夏は、当たり前に道路で亡くなっている人がいて、当たり前に爆弾が怖くて、当たり前に誰かが死ぬ日常でした。それでも毎日ご飯を炊いて、洗濯物をして、残業をする。今

          片隅は決して寂しい言葉じゃない

          キラキラの星を見つけたオオカミ

          その時オオカミは星を見つけました。赤に金に、さまざまな色に輝く、大きな星です。 「なんてきれいな星だろう。」 オオカミはうっとりと星を見つめました。 自分もいつか、この星のようになりたい。 そうオオカミは心でつぶやきました。 それからオオカミは毎日星に会いにいくようになりました。 しばらくたち、オオカミは今日も星に会いにいきます。 しかし、今日の星はいつもとなんだかちがうように見えました。 毎日うっとり眺めていた金色の輝きは、いまはひどく高慢ちきに感じられ、いやな

          キラキラの星を見つけたオオカミ

          うちらしか勝たん

          きのう夜中にものを食べたから胃がシクシク痛い。眠るまえに感じていた痛みがしつこく朝までいすわって、まるでお腹の上に夜通し小さな悪魔がのっかっていたみたいだ。 水を一杯だけ飲んで電車へとびのる。 午前中はしらべもの。なんだか休日気分が抜けない。 「お腹が痛いの」 会社の人がそう言った。いろんなところに悪魔がいる。でもみんな平気な顔でキーボードを叩いていた。 お昼ごはんは急いで炒めた卵焼きと冷凍おかず。 すみっこにちいさく縮まっているほうれん草は冷凍くさい。実家のご飯が恋しく

          うちらしか勝たん