コックリさん
この話はイチカさん(以下すべて仮名)という60代の女性から聞いた彼女の若い頃の体験談です。
1984年の8月の終わり、大学4年生だったイチカさんは、仲のよかった友人、フミコさん、ミエさん、ヨシエさんと一緒にフィリピン旅行に出かけたのだそうです。
5泊6日の日程でしたが、旅の後半は運悪く台風がフィリピンを直撃したために、ホテルに缶詰状態になってしまいました。
インターネットやスマホがなかった時代のことです。
4人は暇をもてあまして、ホテルの一室でとりとめのない会話を交わすしかありませんでした。
「ねえ、なんもやることあらへんし、コックリさんでもせぇへん?」
風雨が吹き荒れる窓の外を眺めながら、フミコさんが突然そんなことを言い出しました。
「コックリさんかぁ、懐かしいなぁ」
「昔、よう流行ってたよねぇ」
70年代のコックリさんブームの頃に小学生だったイチカさんたちは、思い出話にひとしきり花を咲かせ、懐かしさも手伝って実際にやってみることにしたのだそうです。
ただ、ヨシエさんだけは怖がって「わたしは見てるだけ」と言い張ったので、残りの3人でやることになりました。
「でも、外国でもコックリさんてできるのん?」
ミエさんがそんな疑問を口にしましたが、とりあえずやってみようということで、ホテルの便箋の裏に鳥居や50音を書き、イチカさんが荷物の底にしまい込んでいた財布から10円玉をとりだして、3人は少し緊張しながらコックリさんをはじめたのでした。
「コックリさん、コックリさん、おいでください。」
そうフミコさんが呼びかけると、少し間を置いて10円玉はゆっくりと紙の上を動き始めました。
〈なんや、フィリピンでもコックリさんできるやん〉
3人は無言で目配せしあいます。
そのあとはお決まりの恋愛や、就職に関する質問をして遊んでいたイチカさんたちでしたが、しばらくすると10円玉がおかしな動きをしはじめました。
質問を終えて「鳥居の位置までお戻りください」と言っても、10円玉は紙の上を、あちらに行きこちらに行きして、いっこうに鳥居に戻る気配がありません。
「鳥居にお戻りください!」
少し焦りはじめたフミコさんが強い口調で言うと、10円玉は一瞬動きを止めましたが、やがて50音の上をゆっくりと移動しはじめました。
【と・も・こ】10円玉はそのように動いて止まりました。
〈ともこ?ともこって誰?〉
3人が困惑していると、3人が指を置いた10円玉は続けて【か・え・り・た・い】と動いたのです。
そのあとも10円玉は止まることなく、【と・も・こ】と【か・え・り・た・い】を繰り返し指し続け、しかもその動きはしだいに速くなっていったのでした。
「コックリさん!、コックリさん!、どうぞお戻り下さい!」
パニックになったフミコさんが必死に終了の言葉を叫びますが、10円玉はまったく止まりません。
「帰りたい帰りたいって、なんやの?!。そやからお戻りください言うてるなないの!」フミコさんはもう半泣き状態です。
「フミちゃん落ち着いて!どこに帰りたいか聞いてみたら?」
そばでその様子を見ていたヨシエさんが恐る恐る口を開きました。
「コックリさん、どこに帰りたいんですか?」
フミコさんに代わってミエさんが聞くと、10円玉は繰り返していた動きを止めて、再びゆっくりと50音の上を移動しはじめました。
【に・ほ・ん】と動いて少し止まったあとに、
【に・ほ・ん・に・ほ・ん・に・ほ・ん・に・ほ・ん…】
今度はそう繰り返しはじめたのです。
その答えを見て、イチカさんはハッと気づいたそうです。
「あなたは日本の兵隊さんですか?」イチカさんが尋ねると、硬貨はスルスルと【はい】の位置へ移動して行きました。
「ともこさんというのは誰ですか?」
【つ・ま】
「あなたのお名前は?」
【た・い・ぞ・う】
その答えにイチカさんはしばらく言葉が出なかったそうです。
やがて口を開いたイチカさんでしたが、その言葉は自分でもまったく予期しないものでした。
「わたしたち、あした日本に帰ります。よかったらわたしたちといっしょに帰りませんか?わたしたちについてきてください。いっしょに日本へ帰りましょう」
そう言いながらイチカさんの目からは涙があふれ、ほかの3人も涙ぐんでいたそうです。
すると、イチカさんの言葉に納得したのか、10円玉はゆっくりと鳥居の位置まで戻っていったのでした。
その後、台風も去り、無事に日本に帰国した4人は、次の日にそろって靖国神社へお参りに行ったのだという、そんなお話を聞かせてもらいました。