妹
これはマサミさんという女性から聞いた、彼女の幼い頃の記憶に纏わるお話です。
マサミさんが幼稚園に通っていた頃のことです。
彼女には小学生のお兄さんと、リカちゃんという妹がいました。
マサミさんは友だちと遊ぶのが好きな活発な子でしたが、リカちゃんは対象的に一人遊びばかりしている内気な子だったといいます。
リカちゃんは特に動物のぬいぐるみが好きで、お気に入りのぬいぐるみを、パパ、ママ、お兄ちゃんとお姉ちゃんと、それぞれ家族に見立ててままごと遊びをするのが大好きでした。
ある日のこと、マサミさんが幼稚園から帰ってくると、リカちゃんはあいかわらず何か独り言を言いながら、ぬいぐるみで遊んでいました。
〈毎日飽きずによく遊ぶなぁ〉と思いながらマサミさんは見ていましたが、ふとあるものに目が止まりました。
お父さんに見立てたゴリラのぬいぐるみのお腹に、どこで見つけてきたのか、大きな絆創膏が貼ってあるのです。
マサミさんが「それ、どうしたん?」と尋ねると、リカちゃんは
「パパ、ぽんぽん、いたいいたいの」と言います。
そのときはお医者さんごっこでもしているのかと思い、そのまま聞き流したマサミさんでしたが、それから数日後、お父さんは急性胃炎で入院してしまったのでした。
また、それからしばらくたったある日。
今度はお母さんに見立てていた犬のぬいぐるみの前足に絆創膏が貼ってありました。
「ママ、おてて、いたいの」とリカちゃんが言っていたその夜、お母さんは晩ごはんの支度中に包丁で指先を切ってしまったのでした。
さらにまたしばらくして、猿のぬいぐるみの足に絆創膏が貼ってあり、その数日後にお兄さんが足を捻挫してしまいました。
こう立て続けに家族の怪我が続いてしまうと、幼いマサミさんでもさすがにおかしいと思い、同時に次は自分の番だという怖さも感じたのでした。
両親にぬいぐるみの絆創膏と家族の怪我の関係を必死で説明しましたが、いかんせん幼稚園児のつたない語彙力ではうまく説明できず、真剣に取りあってはもらえませんでした。
〈このままじゃ、今度はわたしが怪我をする〉
そう思ったマサミさんは、防ぐ方法がなにかないかと必死で考えました。
そして、いろいろ考えたあげく
〈私の分のぬいぐるみを隠せば、妹は絆創膏を貼ることができなくて、怪我をすることもなくなるんじゃない?〉
と、思いついたのでした。
翌朝マサミさんは、妹がまだ寝ている間に、彼女のおもちゃ箱からいつも「お姉ちゃん」と名付けて遊んでいるウサギのぬいぐるみをひとつ取り出しました。
そして、隠し場所を探して家の中をうろうろしていると、お母さんに見つかりそうになったので、とっさに近くにあった口があいたままの黒いゴミ袋の底の方に突っ込んでしまったのです。
そのあと、マサミさんはそのまま幼稚園へ行き、帰ってくるころにはぬいぐるみのことなどすっかり忘れていました。
午後になって家に戻ってみると、妹が「わたしのうさちゃんがいない」と大泣きしているところでした。
実は、妹は2体の同じようなウサギのぬいぐるみを「これはお姉ちゃんとわたし」と言って遊んでいたのですが、マサミさんにはその区別がつかず、まちがって妹のウサギの方を隠してしまったようなのでした。
さすがに妹がかわいそうになったマサミさんは、今朝とっさに隠したゴミ袋を探しましたが、袋はどこにもありませんでした。
お母さんに尋ねると「今日ゴミの日だったから回収に出しちゃったわよ」と言うのです。
マサミさんはそれを聞いて青ざめましたが、もうどうしようもありません。
妹に正直に話してあやまろうかと悩みましたが、お母さんに叱られることを考えると、どうしても言い出せなかったそうです。
そしてそれから数日後、妹は突然亡くなってしまいました。
〈わたしが妹のぬいぐるみを捨てちゃったからだ〉とマサミさんは思い、以後この出来事は、長い間彼女の心に暗い影を落とし続けたのでした。
やがて月日がたち、マサミさんが中学生になったとき、父方のおじいさんが亡くなりました。
その通夜の席で、何がきっかけだったか覚えていませんが、マサミさんはお母さんに、長年封印していた妹のぬいぐるみの一件を初めて告白したのだそうです。
ところが、マサミさん一大決心をして話したその告白を聞いたお母さんは、怪訝な顔で
「妹?リカちゃん?なに言ってんの。うちはあんたとお兄ちゃんの二人しか子どもはいないわよ」と言ったのです。
「そんな…確かに妹が…、リカちゃんっていう妹がいたじゃない」と
驚いてうったえるマサミさんに
「小さい頃ぬいぐるみで遊んでたのはあんたじゃない。
お兄ちゃんとちがって外遊びはいっさいしないで、家の中でぬいぐるみや人形で一人遊びをしてたのはあんたじゃないの」とお母さんはあきれたように言うのでした。
「今日は忙しいんだから、そんな夢みたいなこと言ってないで、あんたも少しは手伝いなさい」
そう言って、お母さんは葬儀の準備に戻っていきました。
長年の心の重荷が、思いがけない形でいとも簡単に否定されてしまったマサミさんは、慌ただしい通夜の席でひとり、改めて自分の記憶の真偽に思いめぐらしたのでした。
〈いっしょに遊んだ記憶は確かにあるし、肌や髪に触れた感触も覚えてるのに…
でも、そういえば妹って何が原因で亡くなったんだろう?。
お葬式はしったっけ?お墓参りは?
妹の写真が一枚もなくて、家族の誰もが思い出を話さないのは、ずっと思い出すのが辛いからだと思ってたけど、そもそもいなかったからなの?〉
妹が存在しなかったと考えれば、どれも納得のいく疑問ばかりでした。
〈あれはわたしの幼い頃のイマジナリーフレンド?
それとも別人格だったの?
でもあのぬいぐるみの絆創膏の思い出は、リアルな記憶として今でもはっきりと残ってるのに…〉
考えれば考えるほど、マサミさんはわけがわからなくなりました。
しかし、いくら考えてもどうにかなる問題ではなく、マサミさんはしだいに妹は自分が創り出した幻だったのだと思うようになったそうです。
やがて、マサミさんが高校生のころ、一家は新居を建てて長年住み慣れた家を引越すことになりました。
引っ越しの荷造りを手伝っていると、納戸の奥から古びた段ボール箱が二つ出てきました。
一つの箱の中にはマサミさんが幼いころに遊んでいたおもちゃが詰まっていました。
〈まだこんなのを捨てずにとってたんだ〉
そう思いながらマサミさんは作業の手をとめて、ひとつひとつ手にとって懐かしんで見ていました。
もうひとつの箱には古いぬいぐるみがいくつかと、幼児用の衣類が入っていました。
〈こんなのまで残してたんだ〉と、その小さな衣類をいくつか広げてみたマサミさんでしたが、ふとその裾の裏側の洗濯タグに目がとまりました。
そこにはどれも「りか」という、少し色褪せたサインペンの文字が書かれていたのです。
「それを見て、わたし、もう何がなんだか、わけがわからなくなってしまって…
妹って、ほんとうにわたしが創り出した幻だったんでしょうかねぇ?」そう言ってマサミさんは怯えた表情を見せたのでした。