歩道橋
今回は私が高校生の頃、仲が良かった友人の話です。
その友人(仮にKとしておきます)はごく普通の高校生でしたが、ひとつだけおかしなクセというか、一風変わったこだわりを持っていました。
【歩道橋は絶対に渡らない】それがKのこだわりでした。
歩道橋を渡れば近道になる場合でも、彼はかたくなに渡ることを拒んで、横断歩道のあるところまで遠回りをしていました。
私たち当時の遊び仲間は、別に高所恐怖症でもないKが、そんなおかしな行動をするたびに理由を尋ねましたが、彼はいつもあいまいな物言いで答えをはぐらかしていました。
ある日、Kと二人で映画を観に行った帰り道のことです。
どこか喫茶店にでも寄って帰ろうということになりました。
喫茶店のある商業施設は、目の前にある歩道橋を渡ればそれこそ目と鼻の先でしたが、そのときもKは横断歩道のあるところまで回り道をして行ったのでした。
彼のこだわりには慣れっこなっていた私でしたが、そのときは横断歩道への回り道がかなり遠かったこともあって、喫茶店に着いてから、少し強い口調で、改めて歩道橋を渡らない理由を問いただしました。
Kはしばらく黙ったままでしたが、やがてポツリポツリとこんな話を始めたのです。
Kが小学2年生だった昭和40年。
日本は高度成長期に入り、それに伴う自動車の増加で、全国で死亡交通事故が多発していた時代でした。
そのため、通学路などで積極的に歩道橋が設置され始めていました。
Kが通う小学校への通学路にも、彼が小学2年生になった春に歩道橋が設けられました。
物珍しさもあって、Kはそのクリーム色の真新しい歩道橋を渡るのを毎日の通学の楽しみにしていたそうです。
歩道橋が設置されてから半年ほどたった10月のある日のことでした。
その日は、放課後も学校に残って、校庭で夕方5時近くまで友だちと遊んでいました。
先生に早く帰るように言われて、まだ遊び足りなかったKたちでしたが、渋々家へと向ったのでした。
その日の遊び仲間でKと同じ方角に帰る者はおらず、彼は一人で自宅への道を帰って行きました。
歩道橋の階段を登り、橋の中程まで来たときにふと空を見ると、そこには今まで目にしたことのない茜色の夕焼けが広がっていました。
たなびくような濃い青ねずみ色の雲と、その向こうの鮮やかな茜色の空の対比は、美しくもどこか妖しくKの心を魅了したのだと言います。
彼は人通りのない歩道橋の上でひとり、しばらく呆然とその美しい夕空を眺めていました。
すると突然、橋が大きく身震いするように揺れたのだそうです。
驚いてその場にしゃがみこんでしまったKでしたが、揺れは一度きりで、そのあとは何事もありませんでした。
Kは安心したと同時に、自分が帰宅途中であることを思い出しました。
彼は大急ぎで歩道橋を渡り切り、家へと駆け戻りました。
勢いよく自宅へと戻って来たKでしたが、玄関先で思わず立ち止まってしまいました。
当時、彼の家は古い平屋建ての棟割り長屋にありました。
お世辞にも裕福な家庭ではなく、玄関周りも殺風景なものでしたが、帰り着いた家の玄関には綺麗な花の鉢植えがいくつも置かれていて、朝出かけるときに見た景色とは一変していたのです。
本当に自分の家なのかどうか、表札を何度も見返して恐る恐るドアを開けると、家の中のようすも朝とは少し違っているようでした。
〈自分が学校に行っている間に一気に模様替えでもしたのだろうか?〉とも思いましたが、そんな経済的余裕がないことは、幼いKでもよくわかっていました。
違和感を覚えながらも玄関をあがり、台所を覗くと夕飯の支度をしていた母親が、いつになく優しく彼を迎えてくれました。
台所の雰囲気も朝と比べるとずいぶん明るい感じになり、朝にはなかった家電もいくつか置いてあったそうです。
違和感とわけのわからなさで混乱したまま、それでもいつもの習慣で制服から普段着に着替えたKでしたが、ふとたいへんな事に気づいてしまったのです。
「あれ?ヨシくんは?」
そう、思わず声に出してしまいました。
ヨシくんとは三歳になるKの弟です。
いつもならKが帰るとすぐにまとわりついてくるのですが、今日はさほど広くない家の中の、どこを見てもその姿がありません。
「なあ、ヨシくんは?」
台所の母親に尋ねてみましたが
「ヨシくん?誰?」と不思議そうに言うのでした。
「ヨシくん、僕の弟じゃが」と言っても
「なに言よん。あんたは一人っ子で弟なんかおりゃぁせんが」とあきれたように言われました。
その後、帰宅した父親にも聴いてみましたが、「なにを馬鹿なことを」と一蹴されてしまいました。
Kはしだいに恐ろしくなってきて、この家を逃げ出したいと思いましたが、小学2年生には行く宛てもなく、結局その夜はそのまま寝てしまいました。
翌日は祝日で学校は休みでしたが、朝になっても弟がいないという状況に変わりはありませんでした。
Kは外へ遊びに行く気にもなれず、どうしてこんな状況になったのかということを、小学2年生なりに考えてみたのだそうです。
その結果、理由はまったくわかりませんでしたが、もしかすると昨日歩道橋の上で感じた謎の揺れに原因があるのではないかと思い至りました。
そしてそれと同時に、両親のようすを観察していると、弟がいないこの状況もまんざら悪くないと感じ始めたのでした。
まず気付いたのは母親の態度でした。
弟が生まれてからは、いつもイライラしていて、Kに対してもことあるごとに「お兄ちゃんなんだから、ちゃんとしなさい、がまんしなさい」などと怒っていた母親が、それまでとはとはうって変わって、とても優しく接してくれているのです。
父親との会話も、それまでのギスギスした感じから、お互いに穏やかなゆとりのあるような口調に変わっていました。
室内の雰囲気も以前よりは明るく、少しだけですが豊かになったように感じられ、とても居心地よく感じられたのです。
次の日、Kは学校への登下校には歩道橋を使わず、少し回り道をして横断歩道を渡りました。
それは、歩道橋を渡るともとの弟がいる世界へ戻ってしまうかも知れないと本能的に思ったからでした。
学校でも、それまで仲の悪かった子が急に話しかけてきたり、2.3人のクラスメイトが別人になっていたりという、小さな変化はありましたが、どれもKにとっては些細な、そしてどちらかといえば良い状況の変化でした。
そのため、彼はますます弟がいた世界には戻りたくなくなったのだそうです。
月日が流れ、やがて小学校高学年になり、SF小説でパラレルワールドの概念を知ったKは、自分が小学2年生のときに迷い込んだこの世界が、いかに自分にとって好条件な異世界だったを改めて思い知って、この世界を離れたくないという思いがいっそう強まったたのだと言います。
そして、歩道橋を渡るともとの世界へ戻ってしまうかも知れないという思いはますます強くなり、それはやがて恐怖へと変わっていったのだと言うのです。
「だから俺は絶対に歩道橋は渡らないんだ」
疾(と)うに飲み終わったアイスコーヒーの氷を、ストローでカラカラと突きながらKはそう話し終えたのでした。
この話が果たして事実なのか、あるいはSF好きだったKの作り話だったのかは定かではありません。
高校卒業後、彼は関西の大学へ進学したと聞いていますが、そのあとの消息は他の友人に聞いてもいっさいわからず、今に至っています。
もしかすると、誤って歩道橋を渡ってしまったのか、あるいは何か別の並行世界への入口に迷い込んでしまったのか、などとふとそんなことも考えてしまう、かつての友人Kにまつわる不思議なお話でした。