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ベッドの下

これはマサミさんという50代の女性が大学生の時に体験したお話です。

彼女が関西の大学に合格して、初めて一人暮らしを始めたのは、ビジネスホテルを改築したという、少し変わった間取りのマンションでした。

ホテル時代はワンフロア、廊下を挟んで6室ずつ、あわせて12室のシングルルームが並んでいたものを、二部屋の間の壁を抜いて一室にリフォームして、ワンフロア6室にしたという物件です。

二部屋のうち左の部分はドアをつぶして壁にし、ユニットバスがあった位置には流し台を置いて、床はフローリングに、窓は大きめのものに取り替えてありました。
それに対して右側の部分は、ほぼホテル時代のままで、木製のベッドもそのまま備え付けの備品として再利用されている状態でした。

そのような物件でしたが、最寄り駅に近く、広くてベッドもついている割には家賃はアパート並に安かったので、マサミさんは一も二もなくこのマンションに決めたのだそうです。

住みはじめてから3ヶ月ほどたった、ある夏の午後のことでした。
ベッドに仰向けになって本を読んでいたマサミさんは、ふと目の端で何かが動いたように感じました。

〈なんだろう?〉と顔の上にかかげていた本を下ろしてあたりを見てみると、ベッドの足元、白い壁の上の方に、見慣れない小さな黒いシミがあります。
〈えっ?〉と思ったのもつかのま、その黒いシミはするすると数十センチ横に移動したのでした。
…そう、それはゴキブリでした。

〈え?なんでなんで?ここ5階よ。えっー?なんでいるのー?
えーとえーと何か叩くものは…あ、ダメだ、叩きそこねてこっちに飛んでくるかも知れない。どうしようどうしよう…〉
そんな慌てふためくマサミさんの気配を察したのか、ゴキブリはカサコソと壁を下り、あれよあれよという間にベッドの下にもぐりこんでしまいました。

こうなるともうおちおちベッドに寝てはいられません。
マサミさんは飛び起きて、隣室から掃除機を持ち出してきました。
これであの黒いヤツを吸い込もうという作戦です。

しかし、ベッドの下を覗き込んだら、ヤツは顔に飛びかかってくるかもしれません。
マサミさんは掃除機のヘッドを外し、ノズルをベッドの下に突っ込んで、右に左に滅多矢鱈と振り回し始めました。

そうやって振り回していると、ズボッという音がして、さらにもう一度ズボッという何か大きなものを吸い込んだ音がしました。
〈え?二匹もいたの?怖い怖い怖い〉
マサミさんの頭の中では、ベッドの下に群をなしているヤツらの姿が思い浮かび、しばらくのあいだノズルを振り回し続けました。
けれど、そのあとは特別何か大きなものを吸い込んだような音はせず、マサミさんはようやく落ち着きを取り戻して日常の生活に戻れたのでした。

しかし、それから2、3日たった深夜のことです。
ベッドに横向きに寝ていたマサミさんは何か物音がしたように思って目をさましました。
体を起こしてあたりを見回しましたが、常夜灯の薄暗い明かりの下、部屋にはなんの異常もないようでした。

勘違いだったのかなと思い、再び横になったマサミさんでしたが、今度は確かにかすかな物音が聞こえてきたのです。
最初は空耳かと思いましたが、耳を済ますと小さな音が枕の下から聞こえてくることがわかりました。

〈えっ?またゴキブリ?〉と思い飛び起きましたが、カリカリというその音はゴキブリが動き回る音とはまた違う感じでした。
〈もしかしてネズミ?それとも…〉
次々と恐ろしい考えが頭をよぎります。
しかし、深夜のため掃除機をかけることはできず、結局その夜は隣室で寝たのだそうです。

翌日は休日だったので、朝一番に先日のように掃除機のノズルをベッドの下で振り回してみましたが、なんの反応もありません。
マサミさんは〈あれは夢だったのかも知れない〉と思うことにして、昨夜よく眠れなかった分を取り返そうと、ベッドに戻って二度寝を始めたそうですが、その時は特になんの物音もしませんでした。

〈やっぱりあれは夢か空耳だったんだ〉と思い、その日一日を過ごしたマサミさんでしたが、夜になって床についてみると、昨晩同様カリカリという音が枕の下から聞こえてきたのです。
しかもその音はきのうよりも明らかに大きくなっていました。

がまんできなくなったマサミさんは、朝になるとすぐに、ゴキブリや虫が大丈夫な女友達に、ランチを奢る約束で、一度ベッドの下を確認してくれるように頼んだのだそうです。

その日の夜、友達は強力ライトを片手にやって来ました。
彼女はライトのスイッチを入れると、こともなげにベッドの下を覗き込みました。
最初は「別に何もないけどなぁ」と言っていた友人でしたが、しばらくすると
「ん?…」と不思議そうな声をあげ、すぐに「わぁ!」と叫んで大慌てで顔をあげました。

「どしたん?!なんかおったん?!」と聞くマサミさんに、友人は
「いや、なんもいてへんけど、あんたのベッドの裏っかわ、なんやめっちゃ傷だらけやで。見てみ」と言います。

ゴキブリではないようなので、ライトを借りてマサミさんが恐る恐る覗いてみると、ベッドの底板の裏側、特に枕の下あたりには、赤黒い色をした無数のひっかき傷のようなものがついていました。
そして、その中央には黄ばんだ紙の切れっ端が貼り付いていたのでした。
それがお札(ふだ)の跡らしいことは容易に想像ができました。

お札(ふだ)の跡、ホテル時代からのベッド、掃除機が何かを吸い込んだ音・・・マサミさんの頭の中で思考が次々にリンクしていきます
〈そうか、カリカリという音の原因はこれだったのか。それに最初の日に聞いたズボッという何かを吸い込んだ音のどちらかは、貼ってあったお札(ふだ)を吸い込んだ音だったんだろうな〉と、マサミさんは妙に冷静な気持ちで顔を上げたのでした。

マサミさんは、それから数日は友人の部屋に泊めてもらい、その間に両親に事情を話し、すぐにこのマンションから引っ越したそうです。
そして、友人には、宿泊代とそんなヤバいものがあった場所を覗かせたお詫びとして、ランチではなく豪華なディナーを奢ったのだという、そんなお話でした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
怪異体験受付け窓口 百二十四日目
2024.9.14

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