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ミカンと湯豆腐
これは25年ほど前、1月の短歌関係の会で同席したKさんという男性から聞いたお話です。
Kさんは当時59歳。
前の年の11月に奥さんのU子さんを病気で亡くしたばかりでした。
KさんとU子さんは、22歳のときに学生結婚をして、子どもには恵まれませんでしたが、長年仲睦まじく暮らしてきたおしどり夫婦でした。
U子さんの葬儀を終えたあとも、様々な手続きや片付けなどに追われて悲しむ暇もなく、Kさんにようやく落ち着いた日常生活が戻ってきたのは、12月も下旬になってからでした。
そして迎えた12月31日。
大掃除は夕方までに簡単に済ませ、昨年までは2人分きちんと作っていた年越しそばも、今年はインスタントのたぬきそばにして、早々に食べてしまいました。
そのあとはコタツに足を突っ込んで、見るともなしにテレビを眺めていたKさんでした。
膝の上には、昔U子さんが拾ってきた13歳のキジ猫が、喉を鳴らしながら気だるそうに寝そべっています。
華やかに「紅白歌合戦」を映し出しているテレビの横には、真新しい小さな仏壇があり、U子さんの位牌と写真、それに彼女が好きだったミカンが5つほど供えてありました。
そして、Kさんの前にはカセットコンロに乗せた土鍋と呑水(とんすい)がひとつ。
鍋の中には昆布と賽の目に切った豆腐が八(や)切ればかり…。
このシンプルな湯豆腐が彼の大好物でした。
Kさんはコップの冷酒(ひやざけ)をちびちびと啜りながら、おもむろにコンロに火をつけました。
やがて、豆腐がぐらりと揺れて、コンロの火を止めるころには、紅白も後半で、Kさんは温かな湯豆腐を肴に呑みながら、テレビから流れる歌をぼんやりとした心持ちで聴いていたのでした。
しばらくして紅白は賑やかにフィナーレを迎え、華やかだった画面は一転して夜の雪景色へと変わりました。
そして、厳かな雰囲気の除夜の鐘とアナウンサーの語りで「ゆく年くる年」が始まったのです。
Kさんは、コタツに独り、背中を丸めて湯豆腐を食べている、自らの侘しい後姿を思い浮かべながら、何杯目かのコップ酒を啜っていました。
すると、カタリと音がして、目の前の土鍋の網じゃくしが大きく動き、鍋の中の湯豆腐の最後の一切れがかすかに揺れました。
それと同時に、コタツの天板に置いた酒のコップが、ツーッと横滑りして、天板の隅へと移動して行ったのです。
その動きはまるで「もう深酒はおよしなさいな」と言っているようで、
「U子?」
Kさんは思わずそう声をあげずにはいられませんでした。
「U子?おまえなのか?」
再びそう問いかけたKさんの声に答えるように、今度は仏壇に供えてあったミカンが一つ、ポトリと畳の上に転がり落ちました。
膝の上の猫は頭を上げて、じっとそのミカンを見つめています。
その鮮やかで明るい色彩は、亡きU子さんの笑顔のようで、見ているうちに、Kさんの目はいつしか潤み、視界はぼやけていたのでした。
彼は、滲んだ涙を手の甲でぬぐい、鍋の底に沈んでいる湯豆腐の最後の一切れをすくい上げました。
そして、幾度も洟(はな)を啜りあげながら、その少し「す」の入りかけたほの温かい一切れを食べたのでした。
〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉
そんな久保田万太郎(くぼた・まんたろう)の俳句が、Kさんの頭の中に浮かんでは消え、消えてては浮かび、彼はいつしか声をあげて泣いていたそうです。
折しもU子さんの四十九日である大晦日が終わり、新しい年が始まった瞬間だったということです。
初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
怪異体験受付け窓口 百三十五日目
2024.12.29