形見の虫かご
私が中学3年のときの国語の授業で、小学校から今までで一番印象に残っている夏休みの思い出を、作文に書いてそれを朗読するというものがありました。
その中で、クラスメイトのF君が読み上げた思い出話が、今でも記憶に残っているので、今回はその作文を思い出しながらお話したいと思います。
F君が小学3年生の夏休み、お母さんといっしょに田舎のおじいさんおばあさんの家に帰省したときのことです。
田舎では食べ放題のスイカや虫採りなど、多くの楽しみがありましたが、なかでもF君がいちばん楽しみにしていたのが蛍狩りでした。
おじいさんの家の近くに、裏山から田んぼの用水路まで続く、幅1メートルほどの小川が流れていました。
昔のことですから、コンクリートで整備される以前の、夏草の茂みの間を流れる自然のままの小川です。
小川にはカエルやトンボなど、いろいろな生き物がいましたが、夜になって飛び交う蛍の姿は、花火とともにF君の夏の夜のいちばんの楽しみでした。
F君には田舎に帰ったときにいつもいっしょに遊ぶ、Y君という友だちがいました。
彼よりひとつ年上で、近所のよろづ屋さんの息子でした。
F君が幼稚園のころから、毎年帰省するたびに虫採りや蛍狩りで一緒に遊んだ仲です。
その年もさっそく、F君は帰省の報告がてら、Y君の家にアイスを買いに行きました。
「いらっしゃい。今年も帰って来たんやねぇ。元気やった?」
店番をしていたY君のお母さんはそう言ってF君を迎えてくれました。
F君はアイスをひとつ買って「Y君は?」と尋ねました。
するとY君のお母さんの表情がとたんに曇って
「Yはもういっしょに遊べんのよ」と言うのでした。
F君がその言葉の意味を理解できずに、店の土間に無言でつっ立っていると、Y君のお母さんは
「Yはねぇ、今年の春に交通事故で亡くなってしもうたんよ。じゃから、もうF君とはいっしょに遊べんのよ」としんみりとした、それでいて少し悔しそうな口調で言ったのです。
その言葉をにわかには理解できず、F君がなおも店の土間に立っていると
「あっ、そうだ。ちょっと待っとってね」と言って、おばさんは奥へ入って行くと、やがて虫かごと捕虫網を持って現れました。
「これ、Yが使ようたもんじゃけど、もううちじゃあ誰も使わんからF君にあげるわ。Yの形見じゃあ思うて使うてやって」
そう言ってF君に手渡してきたのだそうです。
彼は「形見」の意味がよくわかりませんでしたが、いつもY君が使っていた虫かごを見て、懐かしく思い、お礼を言ってそのまま受け取って帰ったのでした。
やがて夜になりましたが、その日はあいにく夕立があり、蒸し暑さも少し和らいで、夜には月の明かりが煌々とさす、蛍が飛ぶには悪い条件でした。
そのため、予定していた蛍狩りは中止して、F君はそのまま床についたのでした。
おばあさんが吊ってくれた蚊帳のうす青い帳(とばり)の中、漂う蚊取り線香の香りを嗅ぎながら、並べて敷かれた白い布団に、F君はお母さんと横になりました。
枕元の横には、Y君の形見の虫かごが置いてあります。
虫かごは四角いブリキ製の、細かな網目のもので、両端の板にはそれぞれ二匹の光る蛍の絵が描いてありました。
F君はその絵をぼんやりと眺めながら、寂しい思いで眠りについたのでした。
しばらくして、夜中の何時ごろだったでしょうか、F君はふと目を覚ましました。
かたわらにはお母さんが静かな寝息をたてています。
それを見ながら反対側に寝返りを打つと、そこには薄ぼんやりと光るY君の虫かごがあったのです。
からっぽだったはずの虫かごに、5つか6つの小さな光が明滅しています。
F君が驚いて虫かごを見つめていると、そのぼんやりとした光の先、虫かごの向こうに丸い膝小僧がふたつ、正座しているのがかすかに見えたのだそうです。
F君が恐るおそるその膝小僧の上に目をやると、そこには悲しそうにこちらを見下ろすY君の顔がありました。
虫かごの光の明滅で、暗く、そしてほの明るく見えるその顔は、なにかもの言いたげに彼を見下ろしているのでした。
どれくらいの間だったでしょう。
そうやってY君と見つめ合っていたF君でしたが、急に恐ろしくなり、となりのお母さんを揺り起こして今見たことを話しました。
お母さんは驚いて聞いていましたが、
「お盆も近いからねぇ。きっとFのことが懐かしくて会いにきてくれたんよ」と優しく言って、その夜はぎゅっと抱きしめて寝てくれたそうです。
その後、小川に蛍が飛び交う夜は何度かありましたが、F君はただ眺めるだけで、蛍を採ることはしなかったそうです。
「なんか光りながら飛ぶ蛍と、あの夜のY君の顔が重なって見えて、とても採る気にはなれんかった」と中学3年になったF君は言っていました。
「それにわざわざ採らんでも、あの虫かごには 、目には見えんけどもY君の蛍が毎年おったしな」とF君。
Y君の虫かごは、そのあとも彼の七回忌までは、毎年夏になるといくつかの光がほのかに明滅する夜があったのだという、そんなお話でした。
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