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伝言板

これは10年ほど前に、当時40代だった前田進(マエダススム)さん(仮名)という男性から聞いたお話です。

1987年頃のこと、高校生だった前田さんは、郊外の最寄り駅から市内中心部にある学校へ電車通学していました。
ある日のこと、部活の朝練のため、いつもより早く家を出た前田さんは、早起きしすぎた眠たさもあって、電車を待つあいだ駅の待合室にぼんやりと座っていました。

ふだんあまりゆっくりと見たことがなかった待合室の中を見回していると、壁にかけられた伝言板に目がとまりました。
当時は携帯電話会社がサービスを開始し始めたころで、ポケットベルは普及していたとはいえ、駅の伝言板は待ち合わせの連絡などに、まだ充分にその役目を果たしていました。

前田さんが見た伝言板にも、いくつかの連絡の書き込みのほか、漫画「ㇱティーハンター」の影響と思われる「XYZ」の落書きなどが並んでいました。
その中で前田さんの目を引いたのは、赤いチョークで書かれた次のような一行でした。

【進くん、おはよう りょうこ】
たったこれだけの、なんの変哲もない書き込みでしたが、その書きぶりは自然と若いカップルを想像させるものでした。
しかも自分と同じ名前ということもあり、当時、恋愛はおろか女子生徒とも満足に口を利いたことがなかった前田さんは、興味と羨ましさでしばらくその赤い丸文字を見つめていたのでした。

そしてその日の夕方、電車を降りた前田さんは、朝のことを思い出して伝言板を見てみたのだそうです。
するとそこには
【進くん おかえり りょうこ】という赤いチョークの一行がありました。
偶然とはいえ、朝夕のこの伝言板の書き込みは、まるで自分に宛てて書かれているように思えたのだと前田さんは言うのでした。

その日以来、朝夕に淡い期待を込めて伝言板を見ることが、前田さんの密かな楽しみとなりました。
そして伝言板には前田さんの期待通りに毎日書き込みがされているのでした。

朝には【がんばって】や【元気を出して】などの激励の言葉、夕方には【お疲れさま】や【がんばったね】といういたわりの言葉が。まるで前田さんのその日の行動や気分を察しているかのように書き込まれていて、赤の他人への伝言であることをつい忘れてしまうほどでした。

実はこの時期、前田さんは学校でいじめにあっていて、朝夕に読む伝言板の言葉はいつしか心の救いとなり、学校へ通うモチベーションのひとつとなっていったのです。
何度か【りょうこ】さんという女性の姿をひと目見たくて、早起きをして確かめようとしたことがありました。
しかし、どんなに早く駅へ行っても、伝言板にはすでに書き込みがされていて、【りょうこ】さんの姿を見ることはできませんでした。

そんな日々が続いてやがて一ヶ月になろうかというころから、伝言板の言葉は徐々に変化し始めました。
それまでの激励やいたわりの言葉の中に
【疲れたね】【しんどいね】【いやだよね】【楽になりたいよね】といったマイナスイメージの言葉が交じりはじめたのです。
そして、しだいにネガティブな言葉が大半を占めるようになっていったのでした。

しかし、そのようになっても、前田さんはなにかに取り憑かれたように、朝夕に伝言板の言葉を読み、いじめが待つ学校へと通い続けたのだそうです。
そしてそれにつれて彼の体調はどんどん悪くなり、唯一の楽しみだった部活も休みがちになっていったのでした。

そんなある日、学校で前田さんがあまりにも体調が悪そうだったのを見かねて心、中学時代からの友人で、同じ高校に通っていた吉川くんが、別のクラスだったにもかかわらず、帰りに家まで付き添ってくれることになりました。

列車を降りて改札を出た二人でしたが、あとから吉川くんに聞いたところによると、前田さんはまるでなにかに呼ばれたかのように、伝言板の前へふらふらと歩いて行き、一心に見つめていたとのことでした。

そしてそのときの前田さんの目は
【進くん いっしょに逝こう りょうこ】とひときわ大きく書かれた赤いチョークの文字を見ていたのでした。

「うん、そうだね、いっしょにね…」
そんなことをブツブツとつぶやいている前田さんを見て、吉川くんは
「お前、なに言ってんだ!」と肩を掴んで揺さぶりました。

「だって、ほら、伝言板に書いてあるじゃない。赤いチョークでいっしょに逝こうって書いてあるじゃない…」
肩を揺さぶられ、頭を力なくガクガクとさせながら前田さんはそう言うのです。

「赤いチョーク?そんな色の書き込みなんてひとつもないぞ。みんな白いチョークで書いてあるじゃないか。よく見ろよ!」
そう強い口調で言っても、なおもつぶやき続ける前田さんなのでした。
その姿を見て吉川くんは、思わず「しっかりしろ!」と言いながら、前田さんの背中をバンバンと何度も強く叩いたそうです。

前田さんは、「いや、赤いチョークで書いて…」と言い返そうとしましたが、背中を叩かれながら見た伝言板には、さっきまであった赤いチョークの文字は跡形もなく消えていたのでした。
そしてそれと同時に、そもそも伝言板に赤いチョークなど最初から置かれていないことに気づいたのです。

この一件から前田さんは一週間近く学校を休んで静養しました。
すると彼の体は、憑きものが落ちたようにみるみる元気になっていったそうです。
そして、通学復帰を前にした日曜日の朝。
なにげなく食卓で目にした新聞の地方欄には、
〈川崎進さん(18)が急行列車にはねられ…〉という前日夜の、あの最寄り駅での人身事故を伝える小さな記事が載っていたということです。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
怪異体験受付け窓口 百二十五日目
2024.9.28

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