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史上最悪の薄汚れたパリオリンピックを早田ひなが美しく浄化した「知覧特攻平和会館へ行きたい」


開会式からLGBT(反キリスト)による最後の晩餐、そしてギロチンによる恐怖政治によって斬首されたマリーアントワネットが自らの首を脇にかかえて登場するという悪趣味な演出、そこには「自由 平等 博愛」という美しき理想とは裏腹に、フランス革命にルーツを持つリベラル革命思想の闇が明らかにされていた気がする 。

(パリ五輪の開会式を一言で言えば悪魔崇拝の儀式だったと言わざる得ない。リベラルはLGBTが大好きなのだ)


開幕後も買収紛いの相次ぐ誤審や人種差別の数々。XY染色体を持つ男が女性と混じってボクシングの試合を行い、環境を守れとクーラーすら入っていない選手村、汚染まみれのセーヌ川でのトライアスロン。ビーガンを選手の食事に押し付ける不味い飯や簡単にメッキがはがれるメダルなど、これほど不評であったオリンピックはかつてなかったであろう。


こうした中、凱旋帰国した卓球の早田ひなの行ってみたい場所への回答が大きな話題になっている

早田選手は13日の帰国直後に開かれた会見で、今やりたいことは何かと質問されると、「アンパンミュージアムに。ちょっとポーチを作りに行きたいなと思っている」と、地元の福岡にもあるアンパンマンミュージアムを取り上げた。

それに続けて、「あとは、鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたいなと思って、行ってみたいなと思っています」と続けた。

早田選手はおそらく映画「あの花が咲く丘で君とまた会えたら」を見て深い感銘を受けたのではないかと思う。

知覧特攻平和会館で閲覧できる兵士たちの手紙が淡々と読み上げられるこのさだまさしの動画。わずか5分なので是非見て欲しい。心揺さぶるものがきっとあるに違いない。

今風の高校生が修学旅行で知覧平和会館へ訪れた際も入館する前はわいわいガヤガヤしているが、出る時の表情は皆一変しているという。

リベラルな思想とは、パリオリンピック開会式を見てもわかるように、これまでの歴史の中に蓄えられてきた既存の宗教や伝統を軽んじ、男女の区別と差別の違いも弁えず、LGBTや環境運動こそが時代の最先端であり、そこに人類の進化発展があるという主張となる。しかし早田ひなの思いには過去の歴史に対する深い敬意がそこにはあり、現在を守り、未来へとつなげてゆくという時間の広大な流れを俯瞰する感覚を持っている。

およそ「今だけ、金だけ、自分だけ」の相対的で善悪の区別がない個人主義の世界へ「リベラル思想」が人々を導くのに対して、保守の思想は早田ひなが示したように歴史や伝統を重んじつつ、それを現在から未来へとつなげようとする時間の流れの一体性を大事にする。更には共同体の利益のために自ら奉仕することをもって大事とするのが保守の流儀である。

「私は私であり国家など関係なく、オリンピックの結果は勝とうが負けようが、一個人として自分らしく十分楽しめたらそれ以上でも以下でもない」こういった感想をもらすのがリベラル思想であるならば、その対極にあるのが早田ひなの姿勢であり、時間性の一体とした捉え方や国家への帰属意識や愛国心を重視する考えは、本人の自覚はともかく、まさしくそのあり方は保守なのである。’

ここで重要なことを補足しておきたい。

保守とはイデオロギーではなく、本来、時間や共同体への向き合い方に過ぎない。早田ひなさんはイデオロギーなど全く関係なく、「自然に足が向くように、知覧へ行って過去と向き合ってみたいという気持ちがある。そしてこれからも愛国心を大事にしてオリンピックで戦ってゆきたい。」おそらく素朴にそう考えているだろうということだ。

最後にドストエフスキーに少し触れておきたい。

ロシアからフランス革命を眺めていたドストエフスキーは、なぜフランス革命では「自由 平等 博愛」という美しき理念からは遠くかけ離れたギロチン全体主義が生じたのか?こうしたリベラルの欺瞞について深く徹底して考えた作家であった。

そしてドストエフスキーという人間の闇を深く見続けたロシアの文豪は「悪霊」という小説の中で、フランス革命におけるリベラル革命思想こそが、人間を破滅させる「悪霊」であると喝破したのである。

リベラル革命思想こそが「悪霊」なのだ。

(誤解を避けるため、より厳密に言えばドストエフスキーの視点は、リベラル思想そのものを否定するというよりも、人間がその思想をどのように扱うかに対する深い警戒感を表している・・・)

フランス革命以後も、革命思想という「悪霊」に取り付かれたロシア革命や文化大革命では何億人もの粛清が行われ、あさま山荘事件でも内ゲバでの殺人が行われるなど、ドストエフスキーが「悪霊」という小説で見せた予言性の高さや深い洞察力が伺われる。

もちろんリベラルを全否定するつもりもない。一片の正義がそこにもあることを認めるのは吝かではない。ただリベラル革命思想が全体主義化し、大量粛清へと向かったのも紛れもない歴史の事実なのだ。

もしパリオリンピックを見てその背後に邪悪な何かを貴方が感じたとしたら、それは極めて正常な反応であると

 そう個人的には思っている。

現在、ドストエフスキーやエドマンド・バークをはじめとする保守思想の本をひたすら読んでいる。

実にパリオリンピックは薄汚れた史上最悪のものではあったが、最後の最後に早田ひなの言葉によって心は浄化され、救われた思いがしたのは、私だけではきっとないだろう。



反LGBTについて少し触れてあるnote






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