「幸せになってほしい」という言葉について思うこと
時々「○○さんには幸せになってほしいと思うんだよね。」などと言う人がいる。
言う側には全く悪気がなくて、
「あなたはいい人なのだから、その人柄に相応の見返りを受けて、幸せな人生を送ってほしい」
という意味を込めてきっと言っているのだろう。
だが、その言葉を受け取った側はどうだろう。
幸せになってほしいという言葉の「なって」というところに、どうしてもつっかかるものを感じる。
今、自分が幸せな状態ではないことが断定されているような、そんな意図を感じてしまうのだ。
そして、言った側はきっと満たされているものだから、「私は他人の幸せまで願う余裕がありますよ~」という様子にもイラっとしてしまう人もいるはずだ。
全く悪気がないところがタチが悪いのだ。
でも自分が大切にしている人が幸せでいてほしいと願う気持ちもまた、紛れもない事実なのである。
私がひねくれすぎているだけかもしれないけれど、あまりにも相互の行き違いが過ぎるこの言葉、どうにかならないのかと思ってしまう。
もし今後そう言われる機会などあったら、
「貴方にそんなこと言われなくてもこちとら幸せですよ☆」
と心の中で思えるような人でありたい。