「音MAD界隈にみられる危険な動き」の記事に対する反論/気になる点
Xを見ていると、「今の音MAD界隈にみられる危険な動きについて」という記事を目にしました。
この記事を読んでみて、余りその内容には賛同出来ませんでした。というのは、「音MADの著作権侵害を特別視しすぎている」と思ったからです。
そこで、既に散々色々言われているのかも知れませんが、個人的に思い付いた反論?というか、気になる点をあげていきたいと思います。
ナートロ3と他のDJイベントに大差があるのか
当該記事では、「商業作家や界隈外の有名人が参加する」「有償でチケットを販売する」イベントを批判しています。
これに当てはまる代表例は、4月に開催予定の「nerdtronics3」でしょう。ただ、このナートロ3、権利侵害という面では他のDJイベントとやっている事は大して違わないのではと思いました。
DJイベントと著作権の関係について調べてみると、「クラブがJASRACと包括契約していればOK」等と書いてあるウェブページがあったりします。しかし、現在のDJはPCを使っている場合が多いとの事なので、音源の複製権を侵害している(※)場合も多いでしょう。
この様な状況から推察するに、入場が有償な物も含めて、DJイベントはそこら辺ガバガバなのでは無いかという疑念を抱きました。
別に「この状況で良し」と主張する訳ではありませんが、他のDJイベントがこの様な状況で、少なくともナートロ3の影響で、当該筆者が懸念するような「界隈の崩壊」が起こる可能性は低いのでは思います。
なお、こういうイベントで収支を公開するべきという意見には、個人的に一定の理解を示したいです。ただ、ナートロ3の運営のowataxさんは、過去のイベントの際に収支を公開しているというのも付記しておきます。
※CDのデータ取り込みやコピー、音源のダウンロードには「レコード製作者の権利」の「複製権」が絡み、「私的目的」等でない場合は権利侵害となる。JASRACはレコード製作者の権利を管理しておらず、多くの場合、レコード会社が権利を保有している。そのため、各レコード会社に個別で許諾を得る必要がある。
「著作権侵害を通じて金銭を発生させている、悪質なクリエイター」は最早あり触れている
当該記事の肝は、「音MAD界隈が悪質なクリエイターの集団だと世間的に認知されれば、権利者に目を付けられ易くなり、界隈が崩壊する危険性が高まる」という所です。
ここで仮定の話をしよう。仮に音MAD界隈というものが「著作権侵害を通じて金銭を発生させている、悪質なクリエイターが形成している界隈」として世間に認知されてしまったとしたら、どうなってしまうだろうか。
この場合、もはや「音MAD」そのものが、収益目的の著作権侵害を伴う悪質なコンテンツとして世間で広く認識されてしまう、という状況が発生することが、容易に想像できる。
さらにこの場合、音MADを問題視した多数の権利者が「見せしめ目的の民事裁判を含む一斉権利行使」を音MAD作者やイベント開催者に行うことによって、「音MAD界隈が一瞬にして壊滅状態に陥る」という界隈崩壊の危機のシナリオが、強い現実味を帯びることになってしまう。
しかし、この主張には、「著作権侵害を通じて金銭を発生させている、悪質なクリエイター」は最早ありふれていて、しかも野放しにされているという事実が無視されているように思います。
野放しされている代表例は、YouTuberと同人絵師でしょう。YouTuberは、事務所所属の中堅とかでも、収益化しながらも動画の一部に楽曲や画像を勝手に使っていたりします。同人絵師は、同人誌での「印刷に金がかかるから」という建前が最早崩壊しており、パトロンサービスの有償プランで二次創作をバンバン出していたりします。
この様なYouTuberや同人絵師らの存在を擁護している訳ではありません。個人的な考えとして、同人誌の様な直接のコストの転嫁では無い、利益を出す事を完全な目的とする有償販売は余り好きではありません。視たり登録したりしちゃっていますけれども。
しかし、この様な典型的な「悪質なクリエイター」は最早普遍的に存在していて、崩壊もせずに半ば放置の状態です。音MAD作者が彼らと同類になって欲しいとは微塵とも思いませんが、このような事実からして、当該記事の筆者は過剰に危機感を持っている様に感じます。
有償の二次創作同人誌/イベントも道連れになる
当該記事の主張を端的に言えば、「権利侵害をしているのだから金銭のやり取りはいけない」という事です。
これを他の事に当てはめていくと、権利者に許諾を得ていない有償の二次創作同人誌や二次創作同人イベントの多くも否定される事になります。
音MADは素材をそのまま使ってるけれど、同人誌は作者が1から描いているから違うとか、「同人は過度な迷惑がかかっていないのでセーフ」とか反論されるかも知れません。
しかし、こと同人誌で関わる「キャラクターデザイン」の著作権の問題は、法的には音MADと全く同じ「複製権」の問題です。同人誌と音MADは本質的にやっている事は同じという扱いです。
また、前述の様な主張を受けて、別に同人誌も許されるべきでは無いと主張されるかも知れません。しかし、私が疑問に思うのは、当該記事の主張は、音MAD以外の話でも絡んでいるという事を想定して、そこら辺もちゃんと考えて意見を纏めていないのではという点です。
当該記事の筆者自身も「その時の感情に左右されるガバガバ思想」「行動や言動に矛盾が指摘されても~」とされていますが、著作権は汎ゆる創作物に絡む事ですので、もう少し大局的に見るべき事柄です。
二次創作同人作家が商業作家になる事とに大差があるのか
当該記事のもう1つの大きな主張に、「音MAD作者が同じ名義で商業に行くのは良くない」という物があります。
ただ、この主張で感じたのは、二次創作同人作家が商業作家になるのと余り大差が無いのではという事です。その様な事例はごまんと存在しており、多くの場合一応受け入れられているという事実があります。
名前をあげてしまって申し訳無いですが、例えば、私が好きな絵師さんに優しい内臓さんという方が居ます。この方は、キルミーベイベーの二次創作をされていた方ですが、そのキルミーベイベーが連載されているまんがタイムきららキャラットで連載をしています。勿論、名義はそのままです。
この様に「著作権侵害をしている二次創作者が商業デビュー」というのは、普遍的に存在している事です。これを、こと音MADのみに於いて、制限されるべきとは私は思えません。
なお、これは、個人的に考えですが、寧ろ、音MAD作者から商業に行く人は、逆に名義をそのままにして欲しいと思っています。名義を分けているのに同一人物だと匂わすというのが余り好きでは無いので……。
まとめ
私の個人的な考えとしては、「無断の二次的著作物で儲けるのはやめるべき」という意見には理解出来る立場です。これは、音MADにしろ、漫画やイラストにしろです。
ただ、当該記事は、音MADだけに視点を置きすぎていると感じました。余り良い事ではありませんが、世の中には著作権侵害はあり触れていますし、場合によってはその状態が当然の様に放置されていたりします。
「音MAD界隈が崩壊してしてほしくない」という危機感も理解出来ますし、実際あり得ないとも言えません。しかし、他の事例を考えてみると、論理が飛躍しており、過剰に危機感を煽っていないかなと……。
「利益を出すのは良くない」という意見には賛同出来るだけに、過剰に危機感を煽ってしまった事(と過激な言葉を用いた事)によって、記事全体の説得力が損なわれてしまい、少なからずの音MAD作者から反発を受けるような状況になってしまったのは、残念であると思います。
ただ、そもそもとして、「二次的著作物で利益を出していけない」というのも、結局の所、権利を侵害している側のある種の建前、言い訳に過ぎないとも思います。
権利侵害には結局変わりありませんし、同人誌にしろ音MADにしろ、無断で使っている時点で確実に権利者の利益を損ねています。裁判になった時に損害賠償額が変わりはするかも知れませんが……。「権利者の迷惑になるかどうか」というのも、本来的には権利を侵害している側の勝手な線引であるというのを忘れてはなりません。
その様な中で、当該記事の様な主張をするのは、「二次的著作物で利益を出していけない」という建前を過度に神格化していると思うのです。
どう転んでも権利侵害な以上、ここらへんの線引には様々な意見があると思いますが、この様な汎ゆる創作物に関係する話では、やはり、もう少し広い見地で物事を考えるべきだと思いました。
最後に、著作権法の趣旨についての話でこの記事を締めたいと思います。
(目的)
第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。
著作権法の趣旨は、「権利の保護」によって「文化の発展に寄与」することです。「文化の発展」が最大の目的なのです。
だからこそ、TPPの交渉を経ても著作権侵害の非親告罪化の対象が限定的になり、日本特有の二次創作文化が存続し、音MADが投稿され続けています。
著作権・著作者人格権・出版権、実演家人格権及び著作隣接権という私権であって、その侵害について刑事責任を追及するかどうかは被害者である権利者の判断に委ねることが適当であり、被害者が不問に付することを希望しているときまで国家が主体的に処罰を行うことが不適切であるためである。
何故、日本の著作権法では、著作権侵害が親告罪であり続けているのか?
著作権者以外の人が、過度に制限をしようとする事も、ある意味著作権法の考え方に反すると、私は考えています。この様な問題を考える上で、この視点も見失ってはいけないと思います。
以上、長々と読んで下さり、ありがとうございました。