そもそも、何の為に筋トレするのか?
どうも。石神です。
ジムでトレーニングをしている人を見て、
それぞれ「何のために?」やっているんだろう?
と思うことが有ります。
たとえば、始めたばかりの方が、
見よう見まねでマシンでのトレーニングをしている。
フォームや重さの設定がきちんと出来ていないから、
筋肉をつけるためにやっているのか?
ストレッチのためにやっているのか?
何のためにやっているのかわからない方を見かけます。
すくなくとも僕にはわからない。
トレーニングをするというのは、
「何のために?」という部分があって、
「何をやる」という選択が出来ます。
だから、ストレッチをするために選択する種目と、
筋肉をつけるために選択する種目は違ってくるんです。
たとえ同じ動作をやっているとしても、
気をつけなければいけないポイントは変わってきます。
だから常に、「何のために?」は確認しないといけません。
ある程度トレーニングに慣れてきた方が陥り易いのが、
この「何のために?」を忘れてしまうというケース。
例えば、
痩せてキレイになりたくて始めたトレーニングで、
ある程度結果がでてきたから、
ちょっとコンテストにでてみようと思った。
そしてコンテストに挑戦していく過程で、
厳しい減量や、激しいトレーニングに取り組んでいった。
カラダを絞る必要があるので、食事制限をする必要があって
色々と取り組んでいった。
頭の中身は「コンテストで賞を取る」ことに支配されてしまう。
だから、行動の基準がおかしくなってしまう。
そして、食事制限をする過程で失敗してしまって、
病気になってしまった。
本当は健康的に綺麗になりたかったはずなのに。
もうトレーニングするの辞めよう。。。
これはよくあるケースです。
そもそも「痩せてキレイになる」ことが目標だったのに、
「コンテストにでる」事が目標になってしまった。
目標がスライドしていく事自体には悪い事はないのですが、
最初の、「痩せてキレイになる」という目標の時、
実は痩せてから本当にやりたかった「目的」があったはずなんです。
目的というのは、キレイになってからしたかった事。
履けなかったパンツを履く事なのかもしれないし、
痩せた姿をパートナーの人に褒めて欲しかったのかもしれない。
褒めてもらいたいから、コンテストにでようと思ったのかもしれないですね。
こうやって継続して何かをやる時に起こりがちなのが、
「目的」と「目標」と「手段」が変わってしまう事。
トレーニングする事とは少し話を変えて説明してみます。
「目的」
海外旅行にいって最高の時間を過ごす
「目標」
最高の時間を過ごすために必要な額のお金を作る
「手段」
お金を稼ぐために仕事をする
海外で最高の時間を過ごすために、お金が必要だから、
頑張って仕事をしてお金を稼ごう。
という話になるのですが、
お金を稼ぐという事だけに集中してしまって、
海外旅行に行って最高の時間を過ごす事が出来なくなってしまう人がいます。
これが、手段の目的化。
トレーニングをしている人達でいえば、
カラダを変えて好きな人に褒めて欲しい。
または、カラダを変えて自分で自分を認めたい。
というのが目的だったのに、
食事制限をして減量をする事が目的になってしまうという感じです。
人生を楽しむためにカラダを変えたいという思いから始まったとして、
その過程であるはずの食事制限やトレーニングで
病的なまでに「◯◯しなければならない」と
考えてしまう人がとても多いなと感じています。
食事制限にしろ、トレーニングにしろ、
あくまでも、希望を実現するための手段。
抽象的な表現ですが、
健康で快適な人生を過ごすために選択した手段としてのトレーニング
そのトレーニングをした結果得られるモノが、
いくら食べても太らないカラダだったり、
適度に筋肉がついて引き締まったカラダのはず。
トレーニングをする事自体が目的になってしまい、
本来の目的を見失ってしまう。
だから、
行き先を導くという意味での指導者である僕らの仕事は、
いつでも本来の目的を思い出してもらう事。
そして、遠回りに見える事でも、しっかりと伝えること。
この先に向かう道程で絶対に必要になる事を。
だから、僕はカラダの前提条件を整える。
硬い人は柔らかく、
動きの悪い人は良くなるように。
良い作物を育てるなら、理想は土から変える事。
短期的に収穫量が上がっても、
後々土が使えなくなってしまっては、
長期的に継続して作り続ける事が出来なくなる。
カラダ作りも同じ。
カラダの動かし方を間違えれば、ケガをするし、
短期的な減量で取り返しのつかない病気になってしまう事もある。
本来の目的を見失わないように。
何が一番大切な事なのかを忘れないように。
今日はこの辺で。
karadarebirth
石神ノリカズ