いずれ仲間を増やすかもしれない
夏の終わりの頃にハイドロカルチャーのテーブルヤシを買った。
テーブルに置くための椰子。ハイドロカルチャーとは土の代わりに炭や焼き石などを詰めて、少量の水で育てる観葉植物のことだ。水耕栽培という言葉だけは聞いたことがあった。
このテーブルヤシをこの前うっかり肘で突いて、床に落としてしまったのだが、焼き石がいくらか散らばるだけで済んだ。
中身がさらけ出されて、本当に土が使われていない様を凝視した。空気にさらされた根は絡まって、パッと見ると土にも似ており、触れると少しだけ湿っていた。焼き石をひとつひとつ拾って敷き詰めた。どうしても前のようにきれいには詰められなかったが、もう根は見えない。ヤシの葉は今も緑の葉を広げてくれている。
朝、出かける前に、カーテンの隙間の光に当たるように、テーブルヤシを移動する。小一時間もすれば太陽はずれてしまうけど、直射日光には元々弱いらしいので支障ない。
帰宅したらカーテンを閉めて、机の上の定位置に戻す。本当は冷暖房の風が当たらないようにした方がいいが、ちょうどいいスペースはないので、風向きを変えて直接当たらないように工夫する。
と、妙に考えることは増えた。手間は手間だ。無視をすれば時間と余裕が確保できる。その代わりこの同居人は弱ってしまう。気まぐれで来てもらったとはいえ、できるなら長生きはしてもらいたい。健康であってほしいと願う。願うばかりではいけないから、気を使い、調べて、行動する。こんなことを考えているうちに、いずれ仲間を増やすかもしれない。
気を使うことは、やることを増やすこととも言える。誰のことにも気を配らなくなって、自分だけを大事にするのもまだマシで、自分のことさえどうでもよくなったら本当に何もしなくなる。時折そんな想像をして、勝手に怖くなる。
できれば何かしていたい。空白を埋めたい。そんな恐怖が同居人を欲したのかもしれない。
ストレス軽減効果は未だに実感していないけれど、やることがある日々は、何もないよりはいいと思える。