僕は地図を見ていなかった
その日近所の中学校で、バスケットボールの練習試合が行われようとしていた。
僕が中学生のときにバスケ部だったことを憶えている人は今やほとんどいないだろう。僕自身でさえ疑わしいと思っている。運動にはおよそ縁がない人生のはずなのに、なぜおよそ休むことを許されずコート内を走り回るあのスポーツに足を突っ込んでいたのかわからない。スラムダンク世代でもなかったのに。
僕は自転車で目的地の中学校へ向かっていた。他の部員を一人だけ連れていた。どうして僕が彼を連れていくことになったのか、いきさつはとうに忘れてしまった。
そのとき、僕は地図を見ていなかった。
当時はスマホがなくてとか、そんな消極的な理由ではなく、下調べもしなかったし人に聞いたりもしなかった。積極的に道がわからないように仕向けて、目的地にたどり着けないことを目指していた。不可解な心境である。親しみもわかない。彼なりの理由はきっとあったのだろうが、今の僕にわからないのだから、多分他の人にもわからない。よくわからない子どもだった。
ひとつ手がかりになりそうなことがある。一緒にいたその部員のことが、僕は苦手だった。嫌いといってもいいかもしれないが、僕が言い出すまでもなく、学校のほとんどの人が彼のことを嫌いか、なるべく近づかないようにしていた。差別は良くないという倫理よりクラスに異物が紛れ込んでいることへの反発が優先されていた。二十年前の田舎といえばそんなもんである。
加えて、彼は僕の遠い親戚だった。そのことを、僕は直接的には聞いていない。また別の親戚筋から聞いた話をまとめればそうなんだろうなと類推できた。彼から僕に向けて「君は僕の親戚だ」とは言わなかった。僕以上に運動ができないのにバスケ部に入ってきたことや、やたらと僕の背後について回る仕草をしておきながら、一度も言わなかった。
要は、僕に察してほしかったのだろう。僕が関係者であると僕自身に認めてほしかったのだろう。それゆえに、僕は彼が苦手だった。 練習試合には当然遅れた。道に迷ったという僕の説明を、おそらく誰も信じていなかったに違いない。それは一緒に走っていた彼にしてもまた同じだろう。
記憶としてはそこで終わりだ。
目的のないまま走っていた。サボりたかったとか嫌だったとか、理由はあとから付け加えられるけど、どうもしっくりこない。
時折思い返してみて、醜いだとか小賢しいとか、そういう浅はかな自己否定もやりつくして疲れてきた頃に、やっと最近になってひとつ思い至った。
僕は清々しかったのではないだろうか。
正解かどうかはともかく、そう考える方が自分を責めるより随分気楽だ。