【感想文ではない】『君たちはどう生きるか』を観ます【ネタバレでもない】
スタジオジブリ・宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』が7月14日に公開された。
曰く「まっさらな状態で映画を観て欲しいという思い」から、事前情報はタイトルと青い鳥の帽子?を被ったようなポスターのみしかない。主題歌や出演者に対する憶測は飛び交っていたし、多少は目に入ったが、せっかく公式が配慮してくれているのだからと、ネタバレを食らわないように必死だった。
公開初日の朝までにSNSを見るのを止めて、ネットニュースも避ける。それでも現代社会は広告や記事が氾濫しており、検索画面の端っこに不意に例の青い鳥が現れる。その度に焦点を合わせないように苦労した。
観るまではインターネットを使用しない。情報を避けるには、突き詰めればそれしか方法はなかった。
特に映画の公開日当日は、実質一般の人が初めてその内容を知ることができたわけで、本来なら予告などに反応して情報をじわじわ広めていくはずの人が一気に映画館に押し寄せて感想を認めネットの海に大放出している。アウトプットの濁流である。
観た映画や読んだ本の感想を人に見える形で公開することをアウトプットと呼ぶようになってから随分と長い時間が経った。
その勢いはとどまらず、ネットの記事や書籍を見ると少なくともここ十年は定着しているように思う。
なにもアウトプットが悪いとは思ってないし、なんなら僕も気が向いたら感想文を書く。『君たちはどう生きるか』も書く予定でいる。ネタバレはするつもりなので、読みたい人は作品を鑑賞してからにしてほしい。
大学生の頃、ある学生に「眼鏡を外すときはちゃんと両手を使った方がいいよ」と言われたことがあった。僕が片方の柄をつまんで外すのを見て、アドバイスをくれたわけだ。
僕はお礼を言いつつも、不思議な気持ちになった。僕とその学生は友達ではなく、顔を合わせたことが数回ある程度の知り合いだった。「なんで親しくもない僕にアドバイスを?」と疑問に思った。単に僕がコミュニケーションに消極的すぎるが故の疑問だったのかもしれないが。
きっと彼は、その方が僕のためになると思ったのだろう。
程度の差や状況の違いこそあれ、相手にとって有益な情報があれば、人は伝えたくなる生き物だ。受け取る側も、その情報が有益であればうれしく思い、あまり有益でなくとも、露骨に退けず、とりあえずお礼くらいは言う。
インターネットには情報が溢れている。
当たり前だけど、誰かが書いた情報だ。受け手の側に何らかの点で有益だという名目で、人が人に向けて情報を発信している。
大量すぎるとか、スパムメールのように意味不明だったりとかすればともかく、普通の情報の交換にデメリットはない。ないのだから、氾濫する。自らの意志とは関係なく、ありとあらゆる情報が目に留まり、すぐに切れ目なく流れていく。
逆に言えば、人が、相手がいなければ、情報は存在しない。情報とは人の意志であり、残滓である。とりあえず今のところは、全部が全部AIにはなっていないはず。
『君たちはどう生きるか』は宣伝行為をほとんど行わないことで情報を制御していた。
もちろん、ジブリと宮崎駿というネームバリューがなければ成立しない。「まっさらな状態」にも興味が湧いて、僕みたいに自主的にネタバレを避けていた人も大勢いただろう。
それでも、僕の場合は一日が限度だった。
公開日翌日、つまり今日観て、感想を認め、安心して一息ついている。内容云々よりもまず、「まっさらな状態」を守り続けることができたことへの達成感が強い。
このところSNSから離れつつあったが、情報そのものからは逃れていなかった。デジタル断食だっけ? デジタル機器を遠ざけることを指して、そんな言葉があった気がする。もう流れたかもしれないが。
『君たちはどう生きるか』のネタバレありの感想文は明日にでも書こうと思います。