均衡
新居の契約を交わす際に、不動産屋から公共料金の一括申し込みサービスのようなことをしてくれる民間業者を教えられたのだが、ものすごくつらそうに話すものだから全部自分でやると伝えて済ませた。一度その業者から電話が掛かってきたのだが無視をした。どうして僕の電話番号を知っているのか追及するまでもない。
民営化している電気もガスもインターネットから申し込めたのだが、割安と謳うサービスが細々紹介されていて、内容云々よりもまず目にうるさかった。その点水道は市役所の担当課に直接連絡する必要があったのだが、余計な選択肢がない分手続きはすぐに終わったし、開栓の仕組みやトラブル時の連絡先まで端的に教えてくれた。営利目的ではない分の無駄のなさがうれしくなる。余計な選択肢で悩まなくていいし、余計な疑いで気を張る必要もなかった。
公共機関の手続きに血は通わない。冷やかな無機物のからくり細工のように、提出期限を過ぎた提出物は受理されないし、必要な書類がそろっていないときはもう一度そろえてこなければならない。ここに民間のサービスが導入されて、これまでの不寛容さを払拭する代わりに豊富な選択肢で自由度が増したように見せかけてお任せくださいと声を張って利用者を自分たちの求める方へと誘導する。熱を帯びた有機物には意志が宿る。良い悪いというよりも、生きているのだから自分の益を確保する。受け手側は損をする。それを悪いと言い切ってしまったら、それはそれで、きれいすぎるというか、夢を見すぎているように思う。
もしも自分が損をして、相手に益を与えている人がいたら、その人は優しい人だろうか。自分が益を受ける側であるときに、その人を優しいと見なせるだろうか。もしもその受け手が僕だったら、実はこっそり益を得ているとあとから明かされた方が、益の度合いにもよるけれど、どちらかというとホッとする。安心というより、気まずさの解消、不均衡の解消だ。その均し作業には、血が通っている。実にどうしようもなく人らしい。