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逃げ口上
恥の多い人生を送ってきた。私はいつも逃げてきた。問題と向き合わず。
プログラミングは良い “逃げ場所” だったと思う。はっきり言ってプログラムは簡単だ。キーボードをタイプさえできれば誰でもできる。
無論、プログラムが難しいと言う人もいる。向き不向きがハッキリしていて向いていない人には徹底的に向いていないのだな、とは多くの例を見ていて思う。
絵は?
私は絵から逃げてきた。絵は難しい。真剣に向き合わないとうまくなるのは難しいだろう。
多少は描けなくもない。私の絵が好きと言ってくれる人もいて嬉しい。それでも私は逃げてきた自覚がある。
一方絵を描いている人に言わせれば「絵は簡単」「ペンさえ使えれば誰でも描ける」ということらしい。
向き不向きがあって、私はプログラムに向いていて絵には向いていなかったのだろうか。私はそうではないと思う。
求められるハードルが違う
絵とプログラムでは、求められるハードルが天と地ほども違う。
人間の眼球は何億年もかけられた生物進化の産物だ。聞くところによれば、素粒子である光子一粒に至るまで識別できる。
一方プログラムの歴史はせいぜい一世紀。レビューする人間はプログラムを読み書きするよう進化してはいない。それに高度な抽象化機能や再利用性のお陰で、計算機科学の多くの知識は隠蔽され知らなくても利用できるようになっている。
つまり仮に同程度の習熟度なら、プログラムのほうが仕事にしたりといったことは簡単なのだ。
それでも私はかけた時間がプログラムのほうが長いので絵とプログラムならプログラムのほうが習熟度が高いとは言えるだろう。とはいえ逃げ癖のある人間でも時間さえかければできる程度ではある。
逃げ癖
以前こんな記事を書いた。
要は同じことを言っているわけだが、今回の記事のほうがずっと素直に感情を表現をしていると思う。
逃げ癖のある人間でもプログラムは “プロフェッショナル” と言われる程度にはできるのだ。
ただ正直に言えば、私はプログラムでも半人前だ。たとえば GitHub で世界中で使われる OSS を公開しているわけでも、 Twitter (X) で何万人もフォロワーがいて、世の中のトレンドに影響を与えられるほどのインフルエンサーでもない。 Wikipedia に名前が載っているような大物プログラマーでもない。
これはイラストレーターでも同じことが言えると思う。俗に言う神絵師……フォロワーが少なくとも万単位でいて、驚くほど精細なイラストを描き人気アニメや映画のデザインをしていたり、展覧会を開くような絵師は少ない。
多分私と同じように逃げ癖のある人間が、のらりくらりと惰性でやっていてもできる領域、それで到達できる限界みたいなものがあり、そういった層が驚くほど分厚い。
ただどういう領域に逃げるかというのは人それぞれ異なるのだろう。それが私はプログラムだった。人によっては絵だったり、他の分野だったりもすると思う。
得意なことばかりするのは「逃げ」
基本的に、練習したり勉強すればするほど得意になって、いつしかそれしかしなくなる。得意なことは惰性でできるし簡単に成果も出て楽しいからだ。
一方、苦手なことはますますしなくなる。一度苦手意識が芽生えてしまうとそれを避けるようになり、練習したり勉強しなくなるので一向に得意にならない。
得意なこと・楽しいことがひとつできると、他の苦手なことをしない理由が正当化できてしまう。これが今回の記事で言っている『逃げ癖』だ。
これは悪いことではない。人間の性質上、得意なことを繰り返し苦手なことを避けるのは、生存する上で合理的な選択だとも思う。なにも考えなければ自然にそういう選択をするよう、人間はそうできているのだ。
人間社会では得意なことを仕事にするよう求められるので、時間の使い方も得意なことに割く配分がどうしても多くなる。こうなると、ますます苦手なことができるようにならないままだ。
そして得意なことばかりする、とは言うが、スキルが単純に向上するというわけでもない。先述したような神絵師になるには多分、どこかで苦手なこともする必要があるだろう。だから得意なことばかりをする戦略だとスキルもどこかで頭打ちになる。
このまま逃げ続けていてもいいのだろうか?
最近、ずっと自問自答している。
プログラムの世界で逃げずに戦っている人もいる。そういう人の知識や技術は本当にすごい。私も勉強しているが、正直、雑学レベルの知識ばかりだ。
そして正直、エンジニアの世界では雑学レベルの知識のパッチワークで仕事をしている人はとても多い。
それは別に悪ではない。人間は基本的に仕事をしなければ生きていけないが本当に何かを極められる人はごく一部なのだから、必然的に、ほとんどの人は雑学レベルの知識のパッチワークで仕事をするしかなくなる。だからそれはその人の生き方だし非難することでも自己嫌悪するようなことでもない。
イラストレーターだって皆が皆神絵師レベルに上手いわけではないし、依頼する側としても、単純な上手さだけを理由に依頼するわけではない。その人が誠実に仕事をしてくれるなら、できるだけ仕事をつくろうというのが人情だと思う。
逃げずに戦う
それでも今、私は “逃げずに” なにかをするということが必要だなということを強く感じている。
逃げ癖を是正し、惰性や手癖ではなく努力して苦手なことをしよう。
そんなきもちで最近絵の練習をしたりしている。
いつか、自分を納得させられる漫画を描きたい(というか、いつかと言わずもう冬コミには申し込んだ)。漫画自体は以前何作か完成させて出していたのだが、クオリティに納得できなかった。今度は逃げず、向き合いたい。
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過去漫画
うちのこ漫画 [1/2] pic.twitter.com/tqIHzni6fH
— 川向薫 (@bydriv) April 24, 2022