五十歩百歩でも百歩進もう

こんばんは。今日は私が常日頃思っていることを書きたいと思います。

五十歩百歩という言葉があります。五十歩も百歩も大して違わない、という意味で、元々は戦場で五十歩逃げたか百歩逃げたかは逃げたという点で同じ故事が由来です。五十歩・百歩は「逃げた歩数」なので本来は少ないほうが良いのですが、この記事では「進んだ歩数」と再解釈して記事を書きます。

この再解釈の意味で、五十歩進もうが百歩進もうが大して違わない。という観点で、何事にも無気力に、なにもしない現状を追認する人が現代では多いと思っています。

たとえば、プロに比べたらアマチュアの活動なんて五十歩百歩です。どうせプロになれないならアマチュアの活動なんて無意味だ、という考え方の人も大勢います。

作品を完成させた所でクオリティが低いなら完成させないのと五十歩百歩。売れないなら出す必要なんてない。そういう考え方の人もたくさんいます。

五十歩も百歩も同じなら、そもそも歩く必要なんてない。そういう考え方に至るわけです。

世の中の多くの人は全く歩かない人と五十歩百歩のことしかできません。

それでも歩くことになにか意味があるのでしょうか?

どういう意味があるかなんてわかりません。それこそ人それぞれです。

全く歩かない人と五十歩・百歩でも歩く人は10年後に大差がつく……なんて説教じみたことも言いません。10年経っても五十歩・百歩の人もいます。

それでも私は五十歩でも百歩でも歩くことには価値があると思うのです。

そう考えて今日も五十歩・百歩歩いています。

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