(口にするだけでもかなり嫌気の差す)アイデンティティ

研修中の札の有無に関わらず飲食店店員のオーダーミスにあまり文句を言えない。基本的に自分より主張が強めの人の発言および見解に疑問を感じても「それは流石にあなたも悪いのでは」とつっこめない。ファインダーの外ではどんな現実が写っていたのかもよく解らずただ毎度毎度きらきらと現実離れした輝きに溢れている投稿写真に対して正直微妙…と思っても何となくいいね!を押してしまう。本気で怒った(と思われる案件に差し当たった)時も物を投げたり声を荒げたり、誰かに当たり散らしたりできない。

休日も終わる。

モラルやマナーなんて考えたこともないであろう人間が本当に多いなぁと感じる。
感情が見えない人ってこわいなんて言葉にいちいち傷つき皮膚の下で泣いたのも遠い昔、それでもただ生きる。

地上に降りた最後の天使って、もしかして自分なのでは?

ある時ふと、そんな考えも頭をよぎったがそれも違う。なぜなら私はもともとあった春夏秋冬悲喜交々のカラフルな心のパレットの絵具を、人生という美術の授業の開始10分ほどでほとんど使い果たしてしまったタイプの後天的な「いい人」だから。もちろん黒の絵具もいっぱい使った。白の絵具なんて気を揉んで感情を混ぜるのに忙しくて瞬時に消えたし。

だからあとは、輪郭描く用のエンピツで時間いっぱいまで頑張るしかないのさ。

それでも多分、デッサンもまともにできずにぼんやりと夢のような水彩画ばかり描いてる君たちよりは写実的な作品がいずれは完成するのではないだろうか。
せいぜい頑張って夢ばかり見ていてくれ。放課後にまた会おう。いや、やっぱし会いたくもない。もう顔も見たくない。

とは言ってみるものの、流石に間違いくらいは指摘できる勇気はもっと持たないとな。
だってそれは正しい勇気だから。