クエンティン・フィオーレと『Aspen』(2011年『KAWADE道の手帖 マクルーハン』)
マーシャル・マクルーハンの『メディアはマッサージである』をはじめて手にしたインパクトを語る際に誰もがブックデザインに触れざるを得ないように、同書が今日まで影響を持ち続けているのは、そのテキスト自体よりも、言葉の一つ一つに何倍もの含みを持たせる強烈なデザインが大きな要因となっているのは想像に難くない。まるでゴダールの映画のようにカットアップされたテキストとイメージが見開きごとにコラージュされ、言葉と図の(無)関係性、前ページと後ページ、ページをめくる行為……そういった「本」という物質のメディア特性を活かした試みが随所に仕掛けられた視覚的体験が、マクルーハンのメッセージを増幅させている。しかし、本書に対する名声の半分を受け取るべきであるフィオーレへの言及は世間的には決して多くない。最初の翻訳『メディアはマッサージである』(河出書房/一九六八年三月)の解説でも、日本語版デザインを担当した亀倉雄策は「私はフィオーレについてはまったく知識を持たないが(中略)マクルーハンと細部にわたっての意見の交換で具体化したと思う」と想像で書くに留まっている(もちろんマクルーハンは書名以外何も関わっていないことが現在は判明している)。このマクルーハンと同じ大きさで表紙に名前が載っている人物は一体誰なのか、疑問に思っている人も少なくないだろう。ここではまずフィオーレの話からはじめようと思う。
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