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FENが聴けた場所(1970年代まで)

昔のミュージシャンのインタビューを読んでるとよく「FENで洋楽を聴きまくった」的な話題が出てくるんです。なんか米軍の?ラジオ放送?らしい?みたいな気分でみんなまあ適宜飛ばし読みしてると思います。OK、FENについて少し考えてみましょう。

FENは米軍が放送する米軍向けのラジオ放送です。戦争の現場にいる兵士のストレスが半端ないため、彼らの気分を安定させるために、慰安の意味を込めて娯楽を提供する、そのためのラジオでした。こうした福利厚生の意識は日本軍とはまるで違いますね。占領後もそこで働く兵隊がホームシックにかかって逃げ出したりしないように、その国にいながらアメリカの最新ニュースやスポーツ中継や最新ヒット曲が伝わってくる、最高品質のラジオを提供するわけです。

放送されるのは主に米軍情報局のAFRTSから送られてくる録音済みのプログラムレコード。録音されたのはプロのDJによるTOP40番組などですが、基地にいるDJ(若い兵隊)の主な役割はこのディスクを適切に取り替えること。そこにFEN-TOKYOの報道部が作った日本ローカル情報を伝えるニュース番組やら、各地域の生活情報を伝えるためDJが喋りを加えていたようです。

そうした放送のおこぼれとして、基地の近くに住んでいる日本人なら、ラジオを聴けました。日本人向けではないので(日本人はShadow Audienceと呼ばれていた)、米軍の基地が撤退すると同時にFENのその地域での放送は終わってしまいますけども、このおこぼれによって戦後日本に急速にアメリカの音楽が普及していきました。どこまでラジオの電波が届いたのか、詳しい範囲はわからないですが、TOKYO FMが東京以外でどこまで聴けるのか、を考えるのに近いかもしれません。神奈川県ならわりと聴けるし、頑張れば静岡もギリギリ電波が入るところはある……みたいな。

『証言!日本のロック70’s(2)ニュー・ミュージック~パンク・ロック編』(2009-12-30/アルテス)という本で、福岡県出身の鮎川誠さんの談話が登場します。鮎川さんはサンハウス、シーナ&ザ・ロケッツというバンドのギタリストとして、日本のロックンロールを代表するミュージシャンとして有名です。甲本ヒロトは鮎川の大ファンでブルーハーツの結成に多大な影響を受けています。

鮎川の談話によると、ビートルズを知ったのは1964年。中学の終わりに勉強しながら流していたFENから、DJが「ビーロルー」とバンド名を叫び、その音楽の衝撃からエレキギターに目覚めたのが始まりだったそうです。これを含む鮎川さんのFEN体験話を受けて、インタビュアーのダディ竹千代さんの質問が飛びます。

ダディ ちょっと質問。FENって全国放送なの?
鮎川 あれは地域放送ですね。
ダディ ですよね。東京だけかと思ったら、福岡でも流れてたんですか?
鮎川 福岡だと板付放送。佐世保は佐世保放送、岩国は岩国放送。全部基地の中ですね。
ダディ あー、そうか。米軍基地があるところだけか。すみません、今頃知りました。
鮎川 それが70年に突然、それまでずっと聴いていたFENが、なんの前触れもなく、夜中の12時とともにブチッと終わって。
井上 なぜ70年にブチッと終わったんでしょう。
鮎川 岩国にはその後も駐留軍が残ったけど、板付からはこの年に撤収するんです。それも関係あったと思う。
ダディ 撤収というと?
鮎川 白木原、春日原、西戸崎といった板付基地のまわりの地域にアメリカ兵がたくさん住んでいたのが、沖縄や岩国に行くとかして、全部どこかに撤収していったんです。

『証言!日本のロック70’s(2)ニュー・ミュージック~パンク・ロック編』
「Part4 めんたいロック──ロックの地域性」p196-7

この話はなかなか面白いですよね。いわゆる「めんたいロック」が生まれたのはFENが入る地域だったからアメリカの最新ロック情報が手に入った、のが理由かもしれません。そうしたFENの点在する地域性を考えれば、なぜグループサウンズが関西からも登場したのか?とかのロック史がわかりやすくなります。ま、その話は今回これ以上しません。

問題は、鮎川の記憶が正しいのかどうか?というのと、他にFENが聴けた地域はどこやねん?というのが気になります、よね。

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