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出張で陸前高田に行って来ました🚄

こんにちは、ブライトウーマンワールド通訳者&コミュニケーションストラテジストのえりりんこと高瀬惠理です🌈

2022年11月29日から12月1日まで、久しぶりの連泊出張に行って来ました。子供が生まれてからは初めて✨せっかくなので、陸前高田での体験をレポートしたいと思います。

今回は、東京にある大学で、防災の講座が開かれていて、その講座を受講する学生さん(留学生が半分以上)7名を対象としたフィールドワークの通訳というお仕事でした。

では、みなさん、陸前高田って聞いてどの辺にあるか分かりますか?

正確な位置は、ぜひ実際に地図でご確認いただければと思いますが、簡単に場所を説明すると、岩手県と宮城県の県境、岩手県側にある町です。2011年3月11日の東日本大震災で津波の犠牲者を多く出したところでもあります。また、『奇跡の1本松』が生えている(いた?)場所でもあります。現在は1万7000人程度が暮らす街です。町の中心に盛り土をして、そこに新しく街を作ったという特徴をもっています。

実は、震災から1年後に枯れてしまって、今はレプリカのようです。

震災当時、私は神戸で働いていて、東北からは1,000kmくらい離れているのに、2~3分ビルがゆっくりと動いているのを感じました。

その後の報道の中で、当時、「津波警報が出ていたけれども逃げなかった人がいた。」「過去数日も津波警報が出ていたけれど、何もなかったので、今回も大丈夫と思った人がいた。」というようなコメントを聞いたような気がします。

しかし、実際に現地に行って、実際に津波が街を飲み込んでいくのを一部始終見た方々の話を聞くと、海岸線の近くに住んでいる人、海岸線近くで働いている人たちはほとんど避難していた。津波の犠牲になった方の多くは、もう少し内陸の方にいた人たちで、「ここまでは来ないだろう。」と考えていた方が多かったと知りました。
想定以上の津波が想定外の方向から街を襲ったようです。

どんな物事、ビジネスでも同じかと思いますが、まず計画を想定する、その上で想定外のことが起きたらどうするか、という想定も必要なんだなと感じました。

新しく植えられている松林
海側から内陸を見た写真

出張中は、様々な方のお話を日本語から英語へと訳させていただきました。すごく印象に残っているのは、「建物は復旧すればもとに戻る。しかし、人命はもとには戻せない。」といろんな方がおっしゃっていた点です。

NPO団体:桜ライン311さんのお話を通訳中 (津波がきたラインに沿って桜を植えて、危険をポジティブに語り継ぐことをミッションに活動されています。)
長洞元気村での経験を通訳中
震災後、街の人たちが集まってわいわいできるコミュニティを設立・
法人化された方々のお話を通訳中

本当にそうだな、と。当たり前のことですが、忙しくしていると、もしくは、当たり前すぎて、ふと家族の大切さであったり、友達や地域との関わりといったところを忘れてないだろうか、と考えさせられるお言葉でした。

その他、陸前高田や隣の大船渡市というところで地元の資源を活用したビジネスを行っている方、研究をしている方々のお話を伺ったり、大阪に本社があるチョコレート屋さんが、ピーカンナッツ(陸前高田の新しい農産物)を使って商品開発&店舗出店をしているとの話を聞いたりしました。震災、復興を経験し、そして、その先に続くビジネスの話が聞けるのはワクワクしました。


色使いがパレットのよう✨
ピーカンナッツチョコ、美味しかった💛

東北の産業というのをあまり考えたことがなく、海岸線沿いの町なら魚介類が特産?としかイメージがなかったのですが、”海から見えるりんご園”のりんごがあったり、町・地域全体として、ブランドとそのストーリー作りがすごく上手いな、と感じる旅でもありました。

まとめ
東北、復興中というイメージはもともとそんなになかったけれど、行ってみてますますそんな考えはなくなりました。もちろん、歴史として震災を伝えていく必要はあるかと思いますが、それだけじゃない、東北的なビジネスの仕方みないなところで、学べるところはしっかり自分のビジネスに生かしていけたらなと思ったのでした。
じゃ、東北的なビジネスって何?って言われるとうまく言えないし、そんな数日いただけで違いが分かるのか?というのもあるので、これは引き続き、自分の中で醸成させていきたいと思います。(東京と大阪ビジネススタイルの違いはなんとなく説明できる気がする。)

そして、やはり、日本は小さいようで広い!そして、ものすごい観光資源が眠ってるなとも感じたのでした。

昔、アフリカの大使の方々が大阪商工会議所に表敬訪問に来られた際、どこかの大使(すみません、忘れました💦)が、「アフリカは遠いから知らないんじゃない、知らないから遠いんだ。」と仰っていたのですが、これは日本国内でも言えることかと思います。
ぜひ、いろんな体験をして、いろんなところへ行って、”知らない”を”知ってる”に変えていきたいなと思います。また、子供たち(できれば、自分の子供たちだけでなく、近所の子供たち、未来の子供たち)にも、”知らない”を”知る”に変える面白さを伝えていけたらなと思います。

校舎は津波にのまれたものの、児童・職員が全員無事だった気仙中学校跡地






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