遅寝早起きができないのは気合いが足りないからなのか
「早寝早起き」は健康的で文化的な生活を送るために、必要最低限のものだと思う。私は健康が少し損なわれてもいいので、遅寝早起きができる体になりたい。
観たい映画や聴きたい音楽、買えばすべて積読になる本。体がいくつあれば満足に味わえるのだろうか。早送りする人の気持は一生わからないし、わからないでいい。ただ、ちゃんとみてきいてよむことがしたい。
それなのに、私は寝てしまう。1日8時間は必ず寝る。夜ふかししたら夜ふかしした分だけ寝る。
仕事をする時間と、お風呂に入ったり、ごはんを食べる時間は節約できない。寝る時間を減らすことでしか、私は理想とする暮らしを営むことができないのに、睡眠がいつも邪魔をする。
ナポレオンになりたい。
偉人たちはありえない睡眠時間でものすごいパフォーマンスを上げているが、そこまでは望んでいない。私はただ短い睡眠時間で、好きなものをできるだけ摂取したいだけなのに、なぜいつもあんなに寝てしまうのか。動機が不純なのでしょうか。
もし、1日8時間の睡眠が5時間で済むようになったら、『ゴッド・ファーザー』を観る時間が手に入る。そしたらそれはただの3時間じゃなくなる。それなのに…
ショートスリーパーの方々がほんとうに羨ましい。人生100年で考えなくたって、1週間で私は何時間も損しているのだ。
と、ここまで書いてみたら、やはり私は動機が不純な気がしてきた。大志を抱き、人のためになるようなことをすれば「起きないといけない」状態になるだろうし、そうやって偉人は偉人になったのだろう。
でも、私が高い目標を掲げてなにかをがんばるようになったら、もっと本来の目的をするための時間がなくなる。それなら今のほうがいいな。
尊い時間を一生懸命使うために、自動で髪の毛を乾かしてくれるロボットがいたらいいな、と思った。