
37 主語を大きくして逃げるな。
「野球部ではそんな指導されてるの?」
授業中や日常の場面でちゃんとできない子にこういう声をかけている先生を見たことはありませんか。部活のときはちゃんとできるのに、ここではできないの?と。
僕はこの言い方が嫌いです。
自分でちゃんと指導できないのを棚上げして、こういう言い方をする。あなたの指導力ですよ、と言いたいのをいつも我慢していました。
野球部全員がだらしないのではありません。一部の、たった一人ができないと「野球部ガー」となる。主語を大きくして言ってしまう。この功罪の大きさを果たしてわかっていらっしゃるのかな、とよく思っていました。
僕のSNSのタイムラインでは「教室でウクライナの話をしようと思う」という言葉が飛び交っています。これは当たり前のことで、歴史を知らないからとか、政教分離の原則から逸脱するからとか、そういうのを取っ払って教室で話題にすべきことです。
ただ、今回もやはりロシアのことを単に悪く言うのは立ち止まる必要があります。「ロシアにルーツがある子がいる子への配慮を」という言説。主語を大きくすると傷つく人がいます。学校の先生をしているのなら当然の感覚だと思います。
野球部ガー、ロシアがーじゃなくて、自分がどう思ってどう感じているか。教師だとか大人だとか、ひとまずおいて、僕はこう思う。大切なのは大人の本当の声じゃないでしょうか。新聞を何紙も読みましたが、安全だから語れるお金の話ばかりです。
大人の本当の声を子どもはじっと聴いているはずです。歴史を事細かに言われて説かれてもあんまり意味がありません。明日がどうなるかわからない、そんな人が世界でいるんだよ、と。同じ月を見ているのに、こことは違う気持ちで眺めている人がいるということを、スマホを横に置かせて、やっぱり語るべきだと思うのです。
主語を大きくして誤魔化すことなく、誠実に訥々(とつとつ)と話す。ここへの投稿に踏み切れなかったのは適切な言葉を探す時間が必要でした。大きな主語で語らず、一人の人間として世界の動きに向き合うということが大切だと結論が出ました。
日本の中の学校、社会の一員としての自分、世界の中の日本。野球部だからちゃんとするんじゃなくて、ちゃんとしないとダメだからちゃんとするという子を育てたい。今回のことで切実に思いました。
大きな主語に逃げるな。自分の意見を持て。学年最後の授業ではこの話をしようと思います。
スギモト