11 「○○しない指導」
「怒鳴らない指導」
スポーツの世界で目にするようになった言葉。子どもを怒鳴りつけて、選手を萎縮させていいパフォーマンスできるのでしょうか。プロアスリートを目指すジュニアの指導で厳しいコーチがつきもので。で、そういうコーチの優しい一面をクローズアップして、また厳しい場面に。テレビでよく目にします。怒鳴るのは指導者のカタルシス。これは僕がずっと言ってきたことです。怒鳴ることがデフォルトのこの言い方がいつも気に食わないなあと思って見ています。ちょっと宣伝みたいで気が引けますが、ここに書いているのはひとまずの僕の考えです。
「教えない指導」
高校の先生になってわかったのですが、生徒が自分たちで考える指導を、ということで僕も中学校でやっていました。でも「一方的に教える」ということの大切さを、最近改めて感じています。「生徒たちが勝手にやっています」っていうのがカッコいいと思っていました。環境が変われば考えも変わりますね。今はぐうの音も出ないくらい「すげえなあ」と思うような圧倒的な知識で、それから滴り落ちる何かでうっとりさせるような、そんな授業が理想です。今はここから宇宙くらいの差があります。僕はですね、教えたいです。(笑)
「叱らない指導」
僕は叱っていいと思います。「叱るはいいけど、怒るはダメ」の言葉遊びはとっくの昔に卒業しています。本気で関わったらそんなの、境目なんかなくなります。それがちゃんとわかり、それでもここぞ、というときに指導するのがプロのそれだと思います。叱るという形でもいいし、たしなめるでもいい。プロの仕事はややもすると周囲には理解されません。僕がよく用いる比喩ですが、プロの料理人の方が「え、ここでこんなもの入れるの??」というレシピがあります。あれと似ていて、みんな携わっていることはどうしてもその方のやり方があります。子どもとの関わりもこれだと思うのです。
ちょっと偉そうになってしまいました。すいません。子どもにとって、あってほしい大人の姿とはどんなものでしょうか。これが僕の目下の関心事です。もう少し経験を積んだら、このテーマにぶつかって勉強してみたいと思っています。キャッチーな「○○しない指導」のようなそんなものはありませんが、地味でいいので本当にそれだけを追究したいと考えています。
スギモト