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21 スマスイと王子動物園とノスタルジー

今日は学校のことじゃありません。やっとこのことについて書く気持ちになりました。

スマスイこと須磨水族園が民間に業務委託され、かなり大幅なリニューアルとなるそうです。シャチのショーが見られるとのこと。近隣の海水浴場も相まって、ここらを一大リゾート地として活用するとどこかの記事で見ました。

同じく神戸の王子動物園。こちらも老朽化が進んでおり、施設のリニューアルや園内の遊園地がなくなるそうです。大学と連携し、そういう関連施設もできるようで。

これらのニュースの裏で、やはり「このままでいいのに」「思い出がなくなってしまう」というコメントや書き込みなどを見ました。ツイッターでサーチするとこの手の投稿はすぐに見つかるはずです。

全然違う話ですが、僕の実家は借家で長屋でした。いまはもうありません。築年数も随分経ち、建売の住居が売り出されるとのことで立ち退き、取り壊しになりました。僕はもう実家を出ていたので、その話を母から聞きました。取り壊される途中の写真を送ってもらい、なんとも言えない気持ちになりつつ、趨勢を見ておりました。いまだに実家の鍵を持っています。その鍵も、昔のドアが古くなってきれいにした2代目のドアの鍵。なぜか捨てられずにいます。

さて、ノスタルジーがいいのか悪いのか、わからないときがあります。

たとえば、用があって大阪に出たときに縁のある中学校を訪れることがありました。僕はわくわく。でも、なんともあっさりとした邂逅でした。

恩師と会ったときもそう。わざわざ連絡をくださったのでゆっくり話せるかと思って嬉々として出かけたらものの5分ほどの立ち話。

サン宝石というファンシー雑貨の会社があります。そこが業績不振で民事再生法を申請したという報道がありました。幼い、特に女の子たちが好むようなおもちゃの販売をしている会社です。ネットで「サンホを救おう」というキャンペーンが張られ、かつてのユーザーであった大人たちが通販で雑貨を買い求めました。いまはクラウドファンディングで資金を調達したり、年末にはスポンサー企業が決まったと報道がありました。これもノスタルジーの話。

ただ、これもどこかで割り切らないといけない感情です。

えてして、ノスタルジックになってその気持ちに翻弄されるのはあまりよろしくないなあ、と思うようになりました。思い出以上のものが展開されることはない。残念ですが、日に日に美化される過去の時間をいま目の前に持ち出すと見るも無残な、いたたまれないものになっているような気がするのです。

スマスイ、僕が幼稚園のときのお別れ遠足でも行ったし、家族と出かけてイルカショーを見ました。王子動物園、いまだに行っています。ウチの家族にはなくてはならない施設です。形は変われど残る。されど変わる。

おそらくシャチのショーは見ないし、遊園地がなくなっても僕としては困ることはありません。でも、なんとも言えない気持ちになって、やはり思い出のほうに逃げ込んでしまうと思います。古くても汚くても、そこにあった、そこにいたことが大切な時間であったということを強く実感するニュースでした。

スギモト