「見捨てられ不安」は見捨てる準備をしているから表れる。
婚活ブログを読み漁っている中で、やっと腑に落ちる「見捨てられ不安」の話に出会いました。
婚活系の記事を読んでいると、マインド系、仲人系、婚活実体験系の三種に大別できるような気がします。その中でマインド系には「愛され」「幸せ」「不安ゼロ」という言葉が並んで、「こういう扱いをされたら、その相手は見切れ!」という基準がよく提示されています。
私の場合、情報収集をしすぎた結果、基準ばかりが蓄積されていました。そして婚活というフィールドだからこそ、何度も「この人でいいのだろうか?」と思ってしまっていました。
この感情こそが「見捨てられ不安」の元だった、という記事です。
幸せな結婚をするための基準に「不安や悲しみを与える人はやめておけ」が挙げられていることは多いです。
ただ、そればかりを気にしていると疑心暗鬼になり、少しのことを「不安」として捉えてしまうという悪循環に入ります。「不安を感じるのは脳の恒常性のせい!」などと頭で理由をつけていても、不安を感じたことそのものが気にかかり、「別れるべきか」と悩んでいました。
人から見たら「えっ、ほぼ毎日連絡があるなら全然不安になるレベルじゃないでしょう」というものも、「不安」にカテゴライズされてしまうのです。
この記事と出会う少し前に、私の振る舞いがひとつ変わりました。例によって彼がマリッジブルーによる音信不通になり、これまでで一番ひどい音信不通だったために私も不安定になっていたとき、ふと、「もう語尾に全部ハートマークつけてみようか」と思い立ちました。少し前に書いた記事を、もっとこまめに、日常的にやってしまおう、と。
視覚化することが大事だと、誰かに見せる目的でもないのにTwitterにアカウントを作り(ストレージを割いていただきありがとうございます)、そこから頭の中に沸いたこと、ネガティブなものもポジティブなものも、とにかく語尾に「♡」をつけるという縛りをつけて、吐き出すようになりました。語尾が「♡」になると、ネガティブなものは何となくなじまないからリフレーミングしてなじむ文章(ある程度ポジティブな「♡」で締めくくれる文章)にするか、茶化している調子にするか、自然とどちらかになりました。今までは一瞬頭の中に浮かんでいた「ラッキー」や「ありがとう」も、吐き出すことで、さらに色濃く実感できるようになりました。また、「♡」をつける作業自体は、それ自体が意識をしないとできない作業で、都度都度、客観化が促されました。
婚活のマインド系のブログを読みまくっていたことで、ハートなんてつけなくても明るさに満ちた文章・ノリのストックがあったことも助けになって、ツイートしまくったことにより、驚くほどメンタルが整いました。
今まで「ほめる」「頭の中をすべて吐き出す」「マインドフルネスをする」などいろいろ試してきましたが、とにかく頭の中を文章がグルグルしている私には、リフレーミングとディソシエーションを同時にできる「♡」戦略が最も合っていたようです。
さらに、「love and be lovable」という言葉を実践するようにしました。この「love」ベースに立ち返らせてくれる効果も「♡」にはありました。相手がどうであろうと、自分がまず愛そう、という考え方です。
不安に思ってしまう事項も茶化せるようになり心の余裕ができ、「まず愛そう」と決めたら迷いが減りました。話していて、ネガティブに受け取ってしまった時も、ハートを思い出して話すと別の話し方ができるようになりました。迷いが減ったので、笑顔が増えました。
そうして「見捨てられ不安」の記事に出会って、全部つながったなぁと思いました。そして、今までうまくいかなかったのは、やっぱり自分の振る舞いだったんだなぁ、と腹落ちしました。
まだ自分の行動の改善の余地はたぶんにありますが、ひとつ、自分のメンタルを鎮静化させる手段を手に入れた自信は大きな支えになるなぁと、しみじみ感じました。