【深い仲を知らない】帰りの電車で記事を書き切ってみる。
色ちんやで
今回は悲壮感に包まれるこの感情を、帰りの電車で書いてみる。
ワイは普通の人より、各SNS毎に分けて見せる顔を違う様に線引きをしている。
媒体毎の出会った人と交流。
だからTwitterではnoteの様に赤裸々に書かないし、noteにはBlue skyの様にネガティブな部分は見せない。
他人に別の一面を見られることは嫌という訳ではないのだが、過去に様々な顔を各媒体で親しい人に見られた時、「失望された」経験が事の始まりだと思う。
過去に言われた本当に些細な言葉が、刺さって抜けない。
でも悲しい事に、線引きしてからの方が人付き合いが上手くいく様になった。
私も含めて人間は、自分が一番好きだからこそ、仲良くなればなる程欲張りも、喧嘩も増える。
すると当然お別れも早くなる。
そもそも私はあまり他人を知りたくない。知れば知る程相手を苦手になるから。
それに助けて欲しい時だって、結局仲のいい人には迷惑をかけたく無いから、頼ることもない。
そんな事を繰り返してたら、私の手には何も残らなくなった。
1人は楽だけど、ふとした瞬間に自分は無と同じと考えてしまうんだ。
自分で選んで行った道なので、後悔はしていない。
けれど
たまにそれが寂しいと感じる瞬間もある。
結局は無い物強請りなんだろう。
そんな感情に包まれた帰宅電車。