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それが生命の成長の、本質なのかも知れないね。

地下鉄のエスカレーターを何度か上へ上へと昇り
改札を抜けて地上に出た瞬間
ふわっと潮風に迎えられ


「海だ!海の匂いがする!」
と思った。


そうだ、横浜は港町だったんだ。


同じ横浜でも海と接しない
内陸地に住んでいるから忘れていた。


横浜は、港。


横浜は広い。


広いけど、開港だとか赤い靴だとか
日本の歴史の中で語られる横浜はやはり
海とセットなのかも知れない。


これが横浜なのかも知れない。


わたしが住んでいる地域からは
横浜よりも渋谷や表参道の方が出やすくて
大抵の用事はそちらで済ませてしまうので
何かがない限り
横浜駅周辺に来ることはあまりない。


そしてその日はその「何か」があった。


湘南地域に住んでいる旧友と
数年ぶりに会うのだ。


お互いの中間地点として、元町を選んだ。


旧友が独身時代、
元町に住んでいたせいもあったかも知れない。


その日は元町で美味しいと記憶していた
イタリアンレストランにランチコースを予約した。


時間の数分前に店の手前を歩いていると
同じように反対側から
店に向かっている見覚えのある姿が。


あ!と思ったタイミングが同じ。
笑顔で手を振るタイミングも同じ。


久しぶり!
変わってなーい!!
と、しばし再会に歓声を上げた。


ランチはとても美味しかった。
その証拠に、
久しぶりで尽きない話題が時折
「美味しい!」という歓声で中断された。


旧友とはガラス細工の教室で出会い
たまに一緒にわたしの職場関係の集いで
バドミントンをしたり
二人で海外旅行をしたこともあった。

お互いの結婚式に参列し
(あ、どちらも結婚式場は横浜だったなぁ!)
子どもが生まれてからもしばらくは
家族ぐるみでお互いの家に行き
子ども同士を遊ばせることもあった。


わたしたちは、多趣味だった。
やりたいことがたくさんあって
それに比例して行動的だった。


「今、何にハマってる?」
と彼女が聞いた。


多分お互いの記憶の中のわたしたちは、
いつも何かにはまっていたのだ。

お互いの好奇心旺盛さが
お互いの刺激になっていたような氣もする。


「うーん、今ね、特にないかなぁ?」
わたしは首をひねった。


わたしたちは忙しかった。


妻であり、母であり、仕事もしている。


そしてその中で、母の業務がとりわけ多い。


まだ子どもがそういう年齢の時期なのだ。


それもあと数年なのかも知れないけれど。


「わたしは今、子どもが推しなの。」
「子育てが、推し活。」


聞いているだけで目が回りそうな忙しさの中でも
そう明るく笑う彼女は、相変わらず素敵だった。


「友達」との関係の素敵さの共通点は
数年ぶりでも十数年ぶりでも
再会した途端に
昨日の続きのような関係と会話が始まることだ。


いつも思う。


しばらくぶりに会って氣がつくけれど
人というのは必ず
その年月に比例して進化している。


そして同時に、
根本的には何も変わっていない。


それは久しぶりに訪れた街の
街路樹の幹が
以前より確実に太くなり、
背も高くなっているけれど
樹木自体は元の樹木であることに似ている。


根っこは変わってないけど、成長している。


ランチを終えて元町から山手へ歩き
港の見える丘公園を散歩した。

もう全盛期は過ぎているのかも知れないが
まだ充分に見応えのあるバラ園で
「あなたは蜂ですか?」というほどに
花々に顔を近づけ香りを確かめ


合間合間に港を見下ろし
丘を降りて
山下公園から中華街まで歩き回り
家族に肉まんやお菓子のお土産を買って
家に帰った。

家に着いて確かめると
この日は1万6千歩以上歩いていた。

そりゃそうだ。


あんだけ歩けば、そりゃそうだ。


かつて好奇心旺盛で
行動的だったわたしたちの片鱗は
今も健在のようだった。


「わたしと会っていない時間の間に、すごーく進化している!」
と彼女はわたしに言ってくれた。


たくさん話した会話の中で
どこのポイントでそう思ってくれたのかわからないけど
わたしと同じように彼女の方もそう思ってくれたなら
こんなに嬉しいことはない。


変わらないけど、進化はしている。


それが生命の成長の
本質なのかも知れないね。


(お わ り)

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