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あなたはあなたをどう活かしますか?
じゃあね!と改札前で手を振った時
「すっごく楽しかった!自己肯定感、上がったー!!!」
と明るい笑顔を向けられて
キュンキュンしながら帰ってきました。
その日はカフェで占いのセッションを
2件分行わせていただきました。
(現在わたしの占いは直接の知り合いか、
ご紹介の方のみで行わせていただいています。)
高校生の女の子と、中学生の男の子。
申し込まれたのはその子たちのお母さん。
お母さんは以前わたしの占いを受けてくれて
後日、子ども達もみてほしいと言ってくださったのです。
(このパターンはとても多いです。)
初めは鑑定結果をお母さんにお伝えすることになるのかと思っていましたが、
子ども達が自分で聞きたいと言っている、
とのことで、
お母さんと高校生の女の子と
中学生の男の子とわたしの4人で会いました。
高校生の女の子は
「お母さんに聞かれないでわたしが一人で聞きたい。」
と希望。
そっか、もう高校生になればそうかもね。
お母さんがその氣持ちを尊重して、
終始できるだけ離れたところに
いようとしていたのが素敵でした。
最終的に
「軽い氣持ちで言っただけで、そこまで嫌じゃない。」
と女の子が言って、
同席して一緒にランチを
いただきながらになりましたが。
彼女は占いでみても、
とても魂年齢の高い子で
人生何周目?という感じ。
(これは隣で聞いていたお母さんが、
とても納得されていました。)
元々地域のトップ校に通う優秀な子ではあるけれど
それにしても何を伝えても理解が早くて深い。
占いというのは案外、その結果を説明する上で
比喩的表現も多くなるのだけれど、
その表現を通して何を言おうとしているのかの
本質を、あっという間に掴んでくれる。
学力の高さは無関係ではないだろうけれど、
それだけでもないだろうという
受け取りの瞬発力と洞察力。
もう清々しいくらいでした。
彼女に少し伝えたことでもあり
わたしが占いをする度に
毎回実感することがあります。
占いというのは結構
性格や資質分析みたいになるところがあって
なぜならば、
性格が、運命だからです。
その性格だから創造される現実があって
展開される人生がある。
自分の性格の凸凹を含めたそのままを
ありのまま受け入れて
それをどのような場面で
どう活かせるかを考えたとき
自分の性格と資質が、才能に昇華します。
だから性格が運命であり、性格が才能です。
そして才能というのは
無自覚でも人は何となく使いながら生きていますが
自覚的に使ったほうが当然パワフルです。
そして自覚していた方がその才能を
育てたり、伸ばしたり、磨きやすい。
人は自分の強み(才能)で生きていくのが、
しあわせだろうと思うのです。
現在の日本の教育は
先天的な強みを磨いて
突き抜けさせていくというよりも
弱みを後天的に克服させて、
個人の能力を平均化させようとしているように
感じますが
克服された弱みの力は結局、
磨き上げられた強みの輝きには
勝てないのですよね。
それに、強みを磨き上げる工程の中で
弱みの克服が必要として迫られる場面はあります。
その時にその必要な分にだけ取り組めば
充分だと思うのです。
その人に与えられた資質、
性格、環境はすべてギフト。
それらをすべて「どう活かすか?」と
自分に問いながら
代わりのきかない唯一無二で素晴らしい
あなたの人生を生きてください。
わたしもそうします。
*男の子の鑑定からも感じるものが
たくさんあったので、
それはまた後日書きますね〜。