見出し画像

西村さんのご冥福をお祈り申し上げます(※無料記事です)

WNC時代、たいへん力を貸していただいた浜田さんに続き、同じくたいへん力を貸していただいた西村さんも亡くなってしまった。

Wrestling New Classic という名称の団体にとって、西村さんこそは王座を保持していただきたい日本人の筆頭だった。何かの後楽園大会で一緒になったさい、その話をふってみたところ

「団体名を聞いた瞬間から、私も参戦させていただきたいと願っていました」

と。そんな流れで参戦が決定し。初登場のWNC旗揚げ1周年記念後楽園大会で初代王者だったAKIRAさんをくだし、西村さんは第2代王者となった。

半年近く王座を保持していただいている間、二人で飲みながら、色々な相談にのっていただいた。飲みにいくさい西村さんが指定してくる店は新宿ハイアットのバーの、決まってハッピーアワーだった。

西村さんは、WNCに今後どんなクラシックな選手に出てもらいましょうか?という話をするのが大好きで、そのころ確かセミリタイア状態だった

「木戸(修)さんを説得してみせますよ」

と、本当に掛け合ってくれたこともあるが、参戦実現には至らなかった。

WNCはオフの間に次々アップする映像によりストーリー展開する手法をとっていたので、かなりの数の映像も撮らせていただいた。議員として忙しい人だったので、撮影班を率いて何度も文京区役所にもお邪魔させていただいた。役所内のフロアで、瞑想シーンを撮らせていただいたこともある。そのときは他の職員さんたちが「西村さんがまたやってる!」みたいに、笑いながら遠巻きに眺めていたものである。

WNC熊本大会で、オレは西村さんからベルトを奪った。8月の、暑い日だった。会場へ向かうバスの中で、西村さんはけっこうな量のビールを飲んでいた。試合前だろうと、そんな西村さんの姿は何度も見かけていた。アルコール依存だとかそういうことではなく、何かの理由でそうした方がいいという、食品に対する独自の考えからそうしているのだと、そんな説明をしてくれたことがある。

リングの上での西村さんはとにかく「力み」というものがなく、全身のどこにも余計な力が入っていないので、闘っていてとにかく疲れないのだ。ハッスル時代にニシム・ラマという哲人のキャラで参戦していた時期があるのだが、相対するたび川田(利明)さんは

「西村となら60分闘っても疲れないよ」

と、いつも口にしていたものである。

全日本プロレスでも頻繁に闘ったし、タッグを組みもした。そういえば最後に会ったのはいつになるだろう?ずっと下の方に埋もれたままの西村さんのラインをいま開いてみたところ、2021年3月2日にオレが送った

『西村さん、今日は無理を聞いていただきありがとうございました!後楽園もよろしくお願いいたします!』

という送信が最後であった。全日本時代の日付け。その日、オレはいったいどんな無理をお願いしたのだろう。

西村さんのご冥福をお祈り申し上げます。





いいなと思ったら応援しよう!