10年半ぶりに再会したHHHが真っ先に口にした言葉
昨夜、WWE Vaultというyoutubeチャンネルから、2003年1月25日に代々木第1体育館でおこなわれたHHH vs TAJIRIの動画が公開された。
どうして今頃になって公にされたのかはわからない。まだYoutubeもtwitterもなかった時代だったし、DVDとして販売されることもなかったので、この試合の映像を目にしたのは初めてである。
当時、オレは週刊プロレスに隔週で旅日記を連載していた。そこに書いたのだったか書かなかったのかは忘れたが、実はこの代々木大会。オレはどうしても参戦したくなかった。なぜかというと、韓国→代々木2連戦としておこなわれたこのツアーは、RAWの公演だったからである。このころのオレはSMACK DOWNに所属していた。なのにどうして参戦することになったかというと、簡単にいえばWWEが「日本公演だから日本人が出た方がいいだろうと」と、日本仕様にしたかったからである。
今も昔も、WWEのファンは「アメリカのモノをそのまんま見たい」のではないだろうか。少なくとも、オレがファンだったらそうに違いない。なので、ツアーに加われと会社に言われたオレは、当時タレントリレーションのボスだったJRに辞退の申し入れをした。
「出たくありません」
「どうしてだ?」
「RAWに関係のない私がしゃしゃり出たら、日本のファンががっかりしてしまいます」
「そんなことはないから出なさい」
「できることなら、イヤです」
「そういわれても困るんだ、もうカードも決まっている」
「誰とやるんですか!?」
「初日がジェリコで、勝ったら二日目がHHHだ」
「はあ!?」
「出なさいよ、わかったね」
てな具合だったのだが。オレはさらに出るのがイヤになってしまった。そのころのオレは特に明確なテーマもなくVelocityでキッドマンやハリケーンらと闘ったり、たまにSMACKに出てもスーパーヘビー級の巨漢たちに2分ほどで仕留められることが多かったパっとしなかった時期。それが母国だからと、いきなり別ブランドに登場してきてHHHにジェリコという超大物とシングルで闘った日にゃ、ちょっと違うが、有力者の親がたくさん寄付しているおかげで学園祭の劇で主役を演じることになれた私立小学校にかようバカ息子みたいで恥ずかしすぎるではないか。しかし会社の決定に逆らったら即クビが飛ぶのが当時のWWE。仕方がなく、オレはRAWチームに混じり機上の人となった。
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