漂流/水彩/糖衣錠
「自分を信じないとダメだよ。そうじゃなきゃ
気がついた時にはどこか遠い見知らぬ場所に流されてしまう。」
そう彼が私に教えてくれた時、私は既に愛着の欠片もないモノに囲まれていた。美味しくないお酒を飲んで煙草を吸って心動かされない音楽を聴いて映画を見た。経験値が低くて無知なことを悟られまいと必死だった。誰に?遠心力に引っ張られてバランスを崩した独楽は元の柔らかで朧な輪郭を失いありふれた個体と化した。
寮の屋上に来た。静かに雨が降っていて、春というよりはもう夏に近い夜の匂いがする。そもそも目が悪いので普段からすべてがおぼめいているのだけれど、雨の夜は特に世界が輪郭をなくすので好きだ。机に座ってファイルとか本棚とかポスターの隅とかを眺めている時、世界があまりにも角ばっていて泣きそうになることがある。皮膚のまわりの空気が他人みたいな顔をしてぎゅっと私の形を保とうとしてくる。でも今は床も鈍色の空も指先も街の光も家族の住む大阪の家も人の心も距離をなくして溶け出している。風が髪を揺らした。雨の匂いに混じって髪から微かに煙草と香水の匂いがした。途端に冷気が皮膚を刺すように感じられて部屋に戻った。
等身大の人は素敵だ。でも虚栄心に行動規範を奪われている人間も好きだ。明日は炭酸ジュースを飲んでグミを食べるかもしれない。