『終わってなかったのね』から始まる農作業日記とスリーショット
じーじとばあばは、70歳を越えて養豚から野菜農家に転身。
70代で転職と言っても過言ではい状態ですが、働かないと食べて行けないのでやむを得ません。
そんな2人の家に、週末毎に入り浸る2号もできること位は手伝わないと居心地が悪いので、可能な範囲で畑に出ます(笑)。
ブロッコリーが始まったよ
アーリーキャノンはブロッコリー。そんなの知ってる人が何人いるだろうか。
70年代生まれの2号は、コンマ数秒でガンキャノンを連想させられました。
他の記事に書いた事もありますが、野菜はとにかく品種名が多い。
これまでじーじとばあばの家で生産していたブロッコリーは、おはよう・こんにちは・グランドーム等の品種で、この日収穫していたものがアーリーキャノン。
2023年に生産者向けに販売開始された早生の新品種なんですって。
新しいからには改良点もあって、病気や収穫までにかかる期間など、魅力的なメリットはあるようですが・・・ネーミングセンスよ。。。
2号的には『原品種+2023年型』とかで良いじゃんと思わずにはいられません。
そんな事を考えながら、出荷用に余計な葉を落とし茎を切りそろえる作業を手伝う日曜日の朝7時。
『稲刈りやっちゃちまうんべーか』
上州弁で『稲刈りをやってしまおうか』の意味。
ブロッコリーの出荷作業に終わりが見えて来た時、そんな言葉でじーじからお誘いを受けた2号。
正直な感想としては『まじか。終わって無かったのね』という思い。
確かに、先週ネギと里芋を手伝った時に、稲刈りを終えていない田んぼを目にしていた2号。
視界には入っていたけど、ごく少量だったので意識に残っていなかった。そして、時期的にも、収穫は終わった物と当たり前に思っていたので、びっくりです。
それでもです。誘われたからには断る訳にもいきません。
少量なので、直ぐに動けば午前中で終えられるボリュームだろうと、自分が予定していたお遊びの時間を脳内で午後にリスケして承諾。
その後、稲刈りの開始時間を確認したら、『少ねーから、10時半からでも午前中に終わるだんべ』と余裕をかますじーじ。
ブロッコリー対応を終えたのが9時少し前。
年寄りを急かしても良い事はないだろうと、田んぼに出るまでの空き時間で、自分の遊び素材の調達に向かいます。
じーじの予告した時間に間に合うように戻ると、当人達はまだ準備を始めたばかり。結果、約20分遅れで稲が残った田んぼの稲刈りを開始。
残念ながら、AMで終わると思っていた稲刈りは、あと少しの所で刈り切れず。午後への持越が決定するのでした。
稲刈りの思い出とおにぎり
田んぼの畦に腰かけて、清々しい秋空の下でおにぎりを頬張り『いい天気で良かったねー♪』なんて場面に憧れます。
人生でこんなシチュエーションが無かったかと問われれば、かすかにあった気もします。
それこそ幼稚園~小学生低学年ころの話で、ほぼ消えかけた記憶。
明確に残っているのは、小学校高学年くらいからの稲刈り=手伝いの記憶くらい。
思い出す場面は、刈った稲を干すための竿を組む作業。竿を組むための杭を大きな木づちで打つ、その杭を支える助手としての役割です。
柱の役割をする杭は、木づちが振り下ろされる度に手に振動を伝え、ジンジンと痺れていたのを覚えています。
また、脱穀や籾摺りは、藁の埃にまみれるので痒くて仕方なく、サラリーマン家庭を羨ましく思った少年時代でした。
あれから数十年。
多少なりとも機材が改善され、中古機械を入手した実家も十数年前からは、米を天日で干す事はなくなりました
そして、そんな日曜日のお昼ご飯は、前日から食べたいとnoteに書いていた予告通りの『おにぎり』です。
秋晴れの下でとはなりませんでしたが、炊き立てご飯で握ったおにぎりをじーじとばあば、2号と息子で食べたのでした(我が息子は、父がじじばばの手伝いをしている際も、心ゆくまでゲーム三昧のパラダイスだった事でしょう)。
人生初のスリーショット
想定外に終日稲刈りとなった貴重な休日。こうなったら、もう自分の遊びは忘れるしかありません。
昼食を済ませ、多少の休憩時間を挟んで再びの田んぼ。
手伝いが必要と言っても、コンバイン(稲刈り機)はじーじ独占なので、届かない隅の部分を手作業で刈り、他は部分的な対応のみ。
ばあばは、コンバインの後ろをなんとか歩いて付いて回りますが、途中から殆ど手を出す必要もなくなり、小さな田んぼを散歩しているかのようです。
足腰が弱くなって来たので、転びそうになるばあばを見守るのが役割なのかと思う位にドキドキです。
午後になって風も落ち着いてきた秋晴れの田んぼで農作業。
終わり間近にぼけーと夕食の献立を考えていた2号が、何気なく稲刈りの様子でも残そうかとスマホを構えれば、田んぼにくっきり映る自分の影が目に留まります。
大家族で4人兄弟だった為か、家族写真はあまり残っておらず、特に父や母と写真を撮った記憶も殆どありません。
二人との写真は、れぞれの子供が家族を持つようになってから、孫が主役でやっと数枚撮ったくらい。
ふいにそんな事が頭に浮かんで、どうせならと自分の影とじーじとばあばでスリーショット。
撮られている側は気づいてもいない、勝手気ままな息子の自己満足な一枚になりました。
そして、じーじの姿が見切れているのは気にしません(笑)。
おしまい