我思うゆえにだけで本当にいいんでしょうか
私の学んだ認識論というのは
人が論理を組み立てる前のある種
無意識的なところが
どう構成されていくのかという内容なのですが
世間には論理以前の部分はないという立場これを
無神論もしくは唯物論と
言っていますがその立場が強いので
そんな無意識に構成されるのは
オカルトだと言われたり
これは我思う故に我ありという立場の
哲学的な背景からきているものなんですが
それが絶対的に正しいわけでもなく
人が意識するより以前にあるものもある
理想だとかあと時間と宇宙とかもそうなんですが
確かに理性論的に我思うと思ったときに存在が
確定されるので人が作り出しているともいえなくはない
我思う故にあるのも事実なんですが
そこででてくるのが不可知論で
結局人は全てを把握できない未完全な状態にあって我思うことにも
限界があるから我思う故に我ありといいながら不可知論的になり
そして最終的には虚無主義に陥いったりある種の偶像や固定概念が
究極の原因だとすることになりがち
これらが極端な状態であるのは明らかですから
実際のところ我思うゆえに我ありもただしいですが
それ以前に何かあるアプリオリも
実際のところ5分5分に考えないといけないのです
アプリオリがあることで不可知論からの虚無主義的なものを
防ぐ道もあるわけです
だからソクラテスは少しだけ見えるイデアの光といったわけです
現時点では不可知論的な状態で人はありますが成長したりある種覚醒したりすれば違う認識が生まれ違った我思う故にがでてくる
その認識の変更などを世間一般ではあまり意識していないのです
なのでアプリオリ的な要素を含めた認識から
ニュースという情報を読み解くなんてことも
面白いかと思ってやっていこうと思いました
まあ続くかどうかわからないけれど
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