道徳を想定しそれを必要とすることをやめた世界
価値の多様性というキーワードは公平さと平等における自由を拡大した一方で実は伝統的な道徳律を特に不要と考えるもしくはそれも価値の一つと考える傾向を生んだ
それが生み出す理屈の一つが道徳からの解放やら伝統からの離脱などがあり道徳や徳目を一つの思想思考などと考えるようにもなる
ことにこの道徳という考えを含まない思想はカントの言うところの道徳への尊敬というものを持つ必要性がなくなることもある
実際のところ現代では多くの価値論がこの道徳に縛られない形を持っている事が多い、ことに善や儒教などで言うところの義などや宗教がいう超越存在や神などを含まない場合それが強く出る
現代はそういう意味では善が消えかけている時代と言ってもいいのかもしれない
なので普通にうまれ生きている場合経験よって価値は形成されていくがその中の善は伝統的にあった本来の意味での善でなくて、ある意味多様性の価値の中でのなにかの最高と理想になっていく
善の本来の姿は多様性の中に埋没してしまっているのである
そこで善の本来的姿を求めるのに現代にたくさんの情報へのアクセスがあったとしても経験的受容が難しいとも言える
それではどうすれはいいのか
答えは簡単で実は自己の中にある価値の中で一番の本質を単純な形で表すとそこに善の面影が出てくるのである
本質というと大げさだろうから更にいうと現状把握できる範囲で本質か中心的と思えるものから出発していくのでもいいと思われる
問題は元々あった善を尋ねる気持ちが必要なだけだからである
それを日々やることで自分の中の本質や善らしきものを認識できる核(プロトタイプ)が育ってくるのである
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