本当のことをいうと世界には絶望しかないのです
実際のところ
この現実というものに希望だけ感じられる人が信じられません
未来に希望を抱くのであればいいのですが
根拠もないところに希望を抱いてもそれは夢想か妄想でしかありません
妄想は精神病の一種です
しかしながら絶望しかないと思うのも人の精神性としてはとても苦しいものです
どうしてそんな現実と現状があるのでしょうか
絶望の原因は虚無
絶望は人の存在の根拠なのでしょうか
絶望は人の存在そのものなのでしょうか
それなら破壊しかありません
けれど私達は絶望から逃れることが
勿論できないそんな弱いものでもあります
だから衝動的に破壊的な行動も
そして自虐的な文化に浸ったり退廃した気分の中
恨み言のように世間を批判したりしてしまうのでしょう
それら絶望の根拠は何なのでしょうか
絶望は希望がないから希望が断たれたことをいうのですが
実に希望が断たれることは人生ではいくらでもあるのです
例えば挫折というのもそれではあります
希望が断たれるのが現実というのは悲しい話ですが現実には存在してしまうものです
しかしながら人はそんな中でも希望を持って歩むこともできるのです
何度の挫折があっても這い上がって立ち上がって未来に向かっていくのはアニメのヒーローだけではありません
私達の存在は誰もがそういうことの繰り返しですが
そこで絶望という病に囚われてしまうのは
虚無に魅入られてしまってそれが実存つまり存在だと
根拠だと思ってしまうときに起こるのです
虚無に私達は負けている
有名なハイデッカーという人の哲学を私はおかしいと思っているのですがそれは整合性とかそういうことではなくて世界認識です
彼は人の実存は投げ出されているといったのですが
余りにも投げやりないいやりようです
ある意味これでは実存の中にわざわざ虚無を取り入れてしまう余地を与えてしまうのですがただ人はそんな完全な存在ではないため彼のいうことはもちろん間違っていなかったのですが
私はデカルト的に我思うという立場で知りえると思いすぎる現代の実存主義的なものの弊害だと思うのですが
つまり不可知論に至らないようにするために帳尻を合わせているようなものかと思うのです
確かに虚無は存在していて私達はそれに投げ出されていてアプリオリ的な存在とも捉えらえるそれに否応なしに立たされているのは事実です
しかし私達はソクラテスがいうようにイデア向かってその光の中に到達しようとしている向上心もあるわけで
それを忘れてしまったらもうおしまいではあります
だから虚無を拒絶することをしない限り絶望から逃れられないのです
虚無からの解放は
虚無と自虐はほとんど同じものです
私達はそれに親しんでいるかもしれませんが
いつかどこかで
彼らとおさらばして
次なるステップある種自立みたいなところに
いたるべきではないでしょうか
経済的な自立だけできたとしても
運がよければ生涯どころか子孫までも豊に
できる資金を得ることもあるでしょうが
それで心の満足が本当に得られるかは
わかりません
自立という意味はそういう意味で
さまざまな概念の上にあるのだと思うのです
その概念をより本質的にするのに
虚無と自虐に付き合っていてはできません
何度も虚無と自虐に負けたとしても
立ち上がっていく勇気が必要なのでしょう
アドラーという心理学者はトラウマなどない
それに立ち向かう勇気を人は持てると
そういっているそうです
立ち向かえると思えなければ
勝てる戦も戦えないのではないでしょうか
そういう意味で虚無は存在しないのです