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学歴って何?ーPOP歌手は嫌いだけど究極のPOPシンガーの話は面白い

何かを修めていくというのは
人が生きていく上でどうしても
経ていく過程であり

学歴というのもその一つだ

学歴ということだとすると
穿った見方かもしれないが
POP歌手は高学歴でないことが多いから
学歴ということだけみたら
彼らの言葉は意味がないとはいえる

何もしらない青年期の迷いしか
歌っていないとそう思っても
間違いはないかもしれないし

私はPOP歌手はくだらないと
そう思ってはいるが

でもそこを極めた人の話は好きである
それはPOP道を修めたから
修めて大きな影響力になった
人にはやはり聞くべきものは
あると感じるから

まあといってもその人の歌は
聞かないのだけど(笑

今はそこまで学歴ということが
重要視されない風潮はあるが

そもそも学歴というのは
何なのだろうか?

学歴はどういう能力なのか
そこは注目されていないだろう

原点というか原概念として学歴というものを
考えみていたい

学問を修めた歴史が学歴

当たり前のことだが学歴は

学問を修めた歴史

である
そこで重要なのはどんな大学を出たか
ということでは本質はないのは確かなのだが

もともとは何の学問を修めて何を考えてきたのか
そこが重要になるのは当たり前のことだ

そんなことはわかっているのだが
しかし就職とかではどうしても
学歴というか学校歴が基準となりやすい

例えば東大を大学まで出た人と
Fランク大学でもなんでもいいが
博士号をとった人で実際評価は
どうなるだろうか

確かに東大を出た人はそのまま
博士号をとるまでいけば同じ土壌に
なるのだが

しかしながら大学で終わってしまって
それで余りにも高い何か各位を
公務員試験などや司法試験などに
受かって社会にでて

世の中を誘導し影響力も多い地位についている
それにセレブとか言われたりもしていて
一目置かれたりもするものだ

まあただ収入が多いだけの話もあるが

それが本当に学問を修めたということに
なるのか実は前から疑問に思っていた


大学卒では学問にとっては単なるお客様

とはいえすべての人が
大学院にすすみ博士号までいく
というわけにはいかない

別にそこを進めるのではなく
ただ認識として博士号を修めた人と
大学しか出ていない人では

分析の深みというのが違うという
ことはもっと意識されるべきだと思う

自分が大学に入って院にいきたいと
思っていたから教授の助手の人から
こんな話をされたことがあった

学問において
大学生はお客さん
修士課程は小間使い
博士前期は教授のお手伝い
博士後期になってやっと自分の足であるける

東大生は素材としてはすごく優秀な
ものだろうが大学で終わってしまうと
それは学問ではお客さんの段階のまま

しかし社会の仕組みや
社会を動かしている人は
そういう人たちによって影響を受けて
いるように思える

逆に何かを修めた人の話は
机上の空論といったり
難しい話はいいからといったり

安易でわかりやすいものを
求めていくという傾向が生み出されているのは
こういう人たちが上にいて見本というか
仕組みのプロトタイプになっているから

下位互換である我々も
そんなことになってしまうのだろうか

本来そういう学のある人はもっと
尊重されるべきだとは思うし
修めるということが大事にされる
べきかとは思う


本当に重要なのは何かを修めたという
歴史であるのでそれが東大やら
一流企業やら名家の出身というのは
単なる属性でしかなく本質ではない


追加でいうと
人の文明というものがあるのも
学問なくして語れないのは事実で
その恩恵にあるのに
それを大事にしていない
風潮はある意味文明を
崩壊させる破壊活動といっても
いいのかもない

昔はそういう風潮がなかったの
かもしれないが実は単に手放しで
遠いところにあるものをありがたがって
いただけで

現在の風潮と当時はそうは変らないと思う

まあSNSで表現する自由を得たからといって
適当なことを言われたりそれが支持されたり
している現代の方がまあ狂気的といえば
そう言えるだろうが


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