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多額の負債抱え、「負けたらあかん」の精神で30年
三栄運輸・山本会長 息子に事業承継
三栄運輸㈱(三重県伊賀市)のの山本貞夫社長(77歳)は、7月1日付で息子の山本幹起(もとき)常務に代表権を譲り、取締役会長に退いた。
山本会長は1994年6月に三栄運輸を設立し、30年代表をやってきた。
会社はトラック5台でスタートしたが、現在、大型トラック中心に42台保有。倉庫9棟(総坪数は6114坪)を持ち、年商10億円の会社に育て上げた。
和歌山県田辺市出身の山本会長は、もともと地元で材木商を営んでいたが、31歳のときに取引先から不渡りを食らい、事業に失敗。保証人にも逃げられ、多額の負債を背負うことになった。
負債を返済するために当時給料の良かったトラック運送業界に飛び込んだ。大阪でトラックやトレーラーを運転し、関東、九州と月12~3回往復。ドラム缶、袋物、べニア板の芯材などを運び、手積みで積み降ろしを行った。365日休みなしで1日4時間の睡眠が取れればいいという労働環境で働き通し、5年で負債をすべて返済した。
その後も運転手をやっていたが43歳のとき、取引先から自分でやってみないかと声をかけられ、三栄運輸を設立した。
「『いちいち立ち止まるな。どんな日であってもお日さんは出てくる』と自分に言い聞かし、と後ろを振り返ることはなかった。『負けてたまるか』の気持ちで乗り切ってきた」と話す。まさに昭和の経営者だった。
息子の幹起さんは38歳。商社にいたが、29歳のときに三栄運輸に入社。山本会長は、「2024年問題など課題山積の中、親子であっても、事業を継いでくれて正直嬉しい」と胸をなでおろしていた。(10月7日号)
【写真】人生訓を書いたホワイトボードの前に立つ山本会長
トラック運送業界の専門紙「物流新時代」には、
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