快不快を主軸とした社会構造が人の性質を作っている。
この社会の原動力は快不快だ。社会作用が起こると必ず快不快が発生する。
この事象が習慣となり、人の当たり前の性質となる。快不快を基準とする生き方は社会起源であり、自然にはない。
と、言うことは自然に好不幸はない。ないからこそ社会があるとも言えるかもしれない。人は群れることで好不幸を作り出す。しかも幸福側不幸側と別れる。群れた全ての人が幸福側にいられるかは疑問である。
人は群れると優劣を決めたくてしょうがなくなるようだ。それが好不幸を呼ぶ。比較が優劣を呼ぶのではなく、優劣を